秘書室の言えなかった言葉

「えっ?」


英治の声で私は固まる。


私、今、無意識に言葉に出てた?

今の“結婚したい”ってアピールしているって思われたらどうしよう。

いや、“結婚したい”気持ちはあるのだけど。


だって、私も31歳。

仕事もまだしたい気持ちもあるけど、“結婚”の事も考える。

でも、もし英治にまだ“結婚”って考えが無かったら……

引かれる?


「あっ、いやっ、あのっ……」


私はかなり慌てる。


「英治に“結婚したい”って、言ってるのじゃなくて……、いや、そりゃ結婚するなら、英治がいいんだけど……。だからって今すぐの話じゃなくて……」


自分でも何が言いたいのかわからなくなる。


「いや、だから、つまり、そのぉ……、一緒に作れたら楽しいなって思っただけであって……」


私は軽くパニックになる。


「いいんじゃない?」


何て言い訳をしようか悩んでいる私を、英治は笑顔で見ている。


「へっ?」


英治の言葉にきょとんとする私。


英治、今、

“いいんじゃい?”

って言った?


「あっ、パスタもういいんじゃない?」

「えっ?あっ、うん」


パスタの事だったのか……


勘違いしてしまった事に少し落ち込みながら、パスタを湯切りし、フライパンへ。

そして、ソースを絡める。

ソースを絡めている私のその隣で、英治はお皿を出しながら


「だから、俺、知里に家事全部、押し付ける気ないし」


そんな事を、さらっと言う。


「えっ?」


さっきの言葉はパスタじゃなかったの?


固まる私の手からフライパンを取り、英治はお皿に盛る。


「そりゃ、こんなに早く帰れない限り、仕事の日は作るのは無理かもしれないけど、休みの日くらいは、こうやって一緒に作ってもいいんじゃい?」


お皿に盛り付け、フライパンをシンクに置く。

そして、固まったまま、英治をじっと見つめている私をそっと抱きしめ


「二人で会話しながら作る方が楽しいだろ?それに、結婚生活にはコミュニケーション必要だと思うけど?」


英治は私のおでこに自分のおでこをくっつける。

あまりの近さに、私はドキドキする。

こんな風に抱きしめられたり、笑顔を見せられると、やっぱりまだドキドキするんだ。


「俺、言っただろ?“今すぐとは言わないけど、いずれは……、って考えている”って」

「うん」

「だから、よかったよ。知里の気持ち聞けて。知里、まだ仕事したそうだったし、結婚を意識しているのって俺だけかと思っていたから」


そう言って、英治は私の頭をぐしゃっとし


「パスタ冷めるし食べるか」


私の好きな笑顔を見せる。


「うん!」


まだ仕事はしたい。

だけど、

早く英治と一緒になりたい

私の中で、そんな気持ちも生まれた。

それに、英治も私との将来を考えてくれている事がわかり、嬉しく思う。

年末のこの時期。

いつも忙しくて、クリスマスなんて言っていられない。

だけど、来年もそのまた次の年も、ずっと、ずっとこうやって英治と一緒に、そして、仲良く過ごせたらいいな。

作ったパスタを食べながら、そう思っていたのに――…





「――…って事だから、園田さんよろしくね」





そう、それは突然の事だった――…


3月――…


春になり、陽射しも暖かくなる。

新入社員の入ってくる前の、この時期。

どの課でも人事異動が行われている。

そして、3月末で専務が定年退職となり、秘書課でも後輩が一人、寿退社をする。

秘書課の中では一番長く勤めている私。

昔は、後輩に先越される事が悔しくて、素直に「おめでとう」と言えなかった。

だけど、さすがに今ではそんな気持ちも落ち着き、素直に祝福出来るようになった。

そして、現専務が退職するって事は、誰かが代わりに来る。

そう、代わりに来たのは……


「新しく専務になります佐伯誠司です」


大阪支社長をしていた

佐伯 誠司(さえき せいじ) 33歳

そして、私の元彼……

元々、本社勤務だった彼。

だけど、7年前くらいに彼は大阪支社に転勤となる。

私は、彼が戻って来る事なんて考えてもいなかったし、まさか、私が彼の秘書をする事になるなんて、思いもしなかった。


私が新入社員の頃――…

私の教育係でいろいろと面倒を見てくれていた先輩がいた。

そして、その先輩と仕事終わりに食事をする事が多かった。

その時、たまに先輩の同期の人達とも一緒に食事したりしていた。

その中にいたのが、当時、営業課にいた誠司。

それから何度も誠司も一緒に食事する機会があった。

それは、二人きりではなく、先輩や他にも人がいたけど。

そんな機会が何度もあり……


クリスマスイブの日。

誠司に食事に誘われ、初めて二人きりで会う事に。

その時に、誠司から告白された。

私は誠司の事を

“気が利いて、優しい人”

そう思っていた。

そして、誠司に対して好意を持っていた。

だから、もちろん返事はOK。

その日から付き合う事になる。


付き合ってからの誠司も、変わらず優しく、いつも私を甘えさせてくれた。

喧嘩をする事もなく、1年と数ヶ月が過ぎ……

誠司は大阪支社へと転勤になる。

私が働いている本社があるのは東京。

東京と大阪。

遠距離になった私達。

なかなか会えないかわりに、メールを頻繁にしたり、寝る前には毎日電話をしていた。

そして、月に1〜2回、週末に私が大阪に行ったり、誠司が東京に帰ってきたり。

だけど、そんな平和で幸せな日々は、長くは続かなかった。


メールの回数も減り、夜、電話をしても


『ごめん。疲れているから切る』


と言われ……

だから、電話もかけづらくなる。

もちろん、会う回数も減っていった。


そして、月日が経ち、12月――…


もうすぐ付き合って2年が経とうとする。

本当は付き合った記念日のクリスマスイブに会いたいのだけど、いつもクリスマスなんて関係なく仕事。

できたとしても、食事をするくらい。

だけど、離れている私達は

“仕事終わりに食事だけでも”

なんて出来ない。

だから、クリスマスの前の週。

その週末、久しぶりに誠司と会う約束をした。

私は久しぶりに誠司に会えるという事が、すごく嬉しくて、楽しみだった。


大阪に行くのは土曜日。

その日が、待ち遠しかった。


だけど、前日の金曜日。

予定より早く仕事が終わる。

本当は土曜日に行く予定だったのだけど、私は急いで荷物を取りに帰り、そのまま駅へ。


今日会いに行ったら、誠司、びっくりするかな?

喜んでくれるよね?


そんな事を考えながら、大阪に向かう。



その行動が間違いだったのか……

あんな事になるなんて、この時は、思いもしなかった――…


大阪に着き、そのまま誠司の住むマンションへ。

マンションへ向かう途中、電話をしてみたが、コール音は鳴るものの、誠司は電話に出ない。


まだ、仕事中なのかな?


そんな事を考えているうちに、マンションに到着する。

ふと、マンションを見上げてみると、誠司の部屋には明かりが。


帰っているんだ!


私は嬉しくなり、急いで誠司の部屋に向かう。


ピンポーン……


チャイムを鳴らしても、誠司が出てくる気配はなく。


ピンポーン……


私はもう1度チャイムを鳴らす。


「はーい」


ガチャ――


すると、声とともにドアが開き、現れたのは……


「どちら様ですか?」


誠司のものであろうシャツを1枚、身に纏っている、セクシーな女の人。

シャツから見える、その女の人の胸元には、キスマークが……


「誰が来たの?」


そして、部屋の奥から出てきた誠司は……

上半身、裸だった。

その光景を目にした私の手から、持っていた荷物が落ちる。


「あなた、誰?誠司の何?」


少しキツめの口調になった女の人の言葉にハッとし


「えっ、えっと……」


戸惑っていると


「あっ……、知里……」


誠司の気まずそうな声。


「ねぇ、誰なの?」


そして、女の人の問い掛けに、誠司の口から出た言葉は……


「会社の後輩……」


思ってもみない言葉だった。


……えっ?

こうはい?

私、彼女じゃなかったの?

私達、付き合っていたんじゃなかったの?

っていうか、私達、別れた事になっているの?


誠司に聞きたい事はたくさん頭の中に浮かぶのに、うまく言葉にならない。


誠司に会える事、楽しみにしていたのは私だけだったんだ……


誠司の言葉にショックを受けた私。

この状況を認めたくなかった。

理解出来なかった。

というよりは、理解したくなかった。


そして、女の人が何かを言っていたけど、耳に入ってこない。


とりあえず、今、ここに居たくない。

二人の姿を見なくない。


そう思った私は、落とした荷物を持ち、何も言わず、誠司の部屋を後にした。


そして、数日後。

誠司からメールが。


『ごめん』


一言だけ書かれていたメール。

謝られても、どう返したらいいかわからない。

だって、『ごめん』ってだけ書かれても、誠司がどうしたいのかわからない。

例え、“許して”と言われても、私には許す事が出来ないから、もう誠司とは付き合う事はできないけど。

結局、私はそのメールの返事はしなかった。


そして、そのまま誠司と関係は終わった――…