僕が、これを考えるキッカケとなったのは、裁判員裁判で初めて死刑判決が求刑される…という報道を見たことです
死刑なんて、裁判官の人が考えて出すもので、僕たちみたいな一般の人には無縁の判決だと思っていました
だけど、裁判員裁判になり、僕たちにその判断を迫られる…という事が、まざまざと知らされました

さて、被害を受けた方…被害者は「死刑」を求めます
危害を加えた加害者は、死刑を免れようとします
それは、当然だと思います
誰だって「死」というのもは怖いものだと思います
例え相手を「殺して」いても怖いのは当たり前

さて、裁判で被告が反省しているか…していないか…
ハッキリ言って、第三者が考えた所で何処まで本当かは本人にしか分かりません
反省していても、それが伝わらない…ということもあると思います
「態度に出なければ、反省なんてしていない」という人もいるかもしれませんが
僕からしてみれば、態度に出している方が疑わしいんですけどね

結局、裁判では死刑は出ずに無期懲役
それを遺族はとても残念そうにテレビで語ります
それは、そうでしょう…求めていたものではないのですから
けれど、裁判というのはその人の目的を叶えるためのものでは無いのです
遺族の方は、「どう報告したらいいか…」と無念に思う言葉をよく言われます
確かに、無念かもしれません…しかし、「死刑」という判決を死んだ人が求めているでしょうか?
もしかしたら、死の世界に来て欲しくないかもしれません
出来ることなら、永遠に死の世界に来て欲しくないと思っているかもしれません
死の世界がどんなものなのか…生きている僕らには全く分かりません
悪いことをしたら地獄…良いことをしていたら天国…
そういう考えもアリですが、もしかすると全ての魂が同じ場所に行くかもしれません
それは、その人に更なる苦痛を与えるだけかもしれません
生かすことが、最良の手でもあると、僕は思います