それからの一哉は急に饒舌になり、麗子との思い出話をつらつらと始めた。
最近出かけた海の景色がどうとか、水族館へ行った時に見たトラフグのタラコ唇についてとか、そういう、ささやかな日常の話が殆どだった。
(やっぱり、一哉は別れ話を切り出そうとしているんだわ)
心の隅で考えながら、麗子は酷く冷静な気分だった。
男女の別れなんてこんなものなのだろうか?
誕生日に行ったフレンチのイチゴのケーキのイチゴが、オレの分だけ一つ足りなかったんだよな。
麗子がプレゼントしたアクセサリーのチェーンさあ、使いすぎで赤茶色く劣化して首の周りまで色づくんだ。
麗子と命名した大正公園って、本当の名前知ってる?
一哉の思い出話はどんどん過去へと遡って行く。
遡るに連れて、その時は近づいて行くのだと麗子は思った。
一哉の話はどれもこれもが懐かしく、麗子はタイミングを計って相槌を打ち、微笑み、「あれは一哉が間違ったのよ」と時折反論した。
一哉は準備をしている。
話を聞きながら麗子は確信していた。別れる準備をしているのだ。
それを知りながら、酷く穏やかな気分だった。
まるで、卒業があと一週間に迫った学生みたいに、爽やかな悲しみが込み上がっては、懐かしい過去に変わっていく。
それは生卵の白身のようにドロリと纏わり付く嫌味なものではなく、フワフワに泡立てたメレンゲの口溶けに似た儚さを帯びていた。
カウンターの棚は意外にも奥行きがあり、並んでいるお酒の総数は麗子が考えていた三倍はありそうだ。
そのため一哉と麗子の思い出話は、小一時間にも及んでいる。
途方もない瓶の量。
途方もない一哉との日常。
それでも、やはり終わりは来る。
「とうとう最後の瓶だ」
一哉が小さな黒いウィスキーを、いとおしそうに手に取って笑った。