もちろん、麗子に対しての話だ。

 一哉は普段いろんなことを面倒くさがるくせに(特に日常生活に置いての一哉は限りなくだらしない。使ったものは使いっぱなし、脱いだものは脱ぎっぱなしで、脱いだ靴下を脱衣所のかごに入れることすら、何度注意しても出来ないのだ)いざ麗子の事となると、どんな労力もいとわないのだ。

 
 まだ付き合い始めて一年も経たない頃、麗子は学校で流行していたインフルエンザにかかってしまったことがあった。

 その週末一哉とデートの約束をしていた麗子は、早めに一哉に断りのメールを入れた。
 すると一哉はその日から麗子の家に泊り込み、治るまでの間、仕事まで休んで付きっ切りの看病を始めたのだ。

 風邪や病気に効くと謳った料理本を何十冊も買い占め、風邪薬はドラッグストアに置いてあった全種類、総額三万円相当を揃えて未だに余っている状況だ。
 プリンとアイスとヨーグルトも随分長い間冷蔵庫のスペースを占領していた。

 麗子が何度大丈夫だからと言っても頑として譲らず、寝る間も惜しんで看病を続けた結果、結局一週間後に自分がインフルエンザで倒れたのだ。




 それに、一哉は麗子の言葉も一語一句逃さない。

 いつだったか、このバーで飲んでいて、酔っ払った勢いでポロリと旅行に行きたいと喋ったら、ゴールデンウィークにイタリア旅行が待っていたこともあった。




 学者がその人生をかけて研究している対象物の、どんな小さな変化も見逃さないぞという執念と同様、一哉は麗子の小さな心の変化をいつでも慮ろうとしている。




 だから麗子は迂闊に病気になれないし、うっかり願望を口にも出来ないのだ。