彼は、去る東京本社で、私の所属する商品企画部のチーフだった男だ。
大西泰樹。それが彼の名だ。三十代前半とまだ若く、これからを期待される社員の1人で、私の直属の上司でもあった。
仕事であっても事を強引に進めていってしまうところが玉にキズだったが、それを除けば、企画力・説得力・加えて責任感という、いわゆる三拍子を、いざというときに発揮してくれる。
それが彼だったのだ。
彼に不満やストレスを感じた事はある。
ましてや彼は既婚者だ。
でもそれ以上に、彼には人を惹き付ける何かがあった。
それに強く惹き付けられたのは、私だけではなかったかもしれない。
だけど、そんな彼にまるで磁石のように引き寄せられて。
そして、予想すらしていなかった、越えるべきではない一線を越えてしまったのは、他の誰でもない私だった。
それも悔しいくらいに、すんなりと自然に。
その感覚が私の勘を鈍らせたのかは定かでない。
でも、本来ならもっと早く気付くことが出来たはずだったのだ。
自然に惹き付けあう関係は、自然に離れていく事もある関係なのだ、と。
押し寄せては引いていく、波のように。
実際、彼との関係は長くは続かなかった。
私と彼との関係が周囲でまことしやかに囁かれ始めたからだ。
でも、それだけが理由ではない。
身体を重ねた事は少なかれど、何度かはある。
でもその度に、確かにすれ違い離れていく何かがあった。
未練を抱く事は殊更ない、とでも言わずとして語るように。
そして、示し合わせたように告げられた、今回の地方への異動辞令。
(結局、その程度だったのよ。彼の私に対する気持ちなんて……)
そう悟った瞬間、私は自分の中で何かが変化していくのを感じていた。
心の奥にあった、その何かが急激に冷めていくのを。