山崎が「師匠が言っていただろ」と言い、一旦木刀を下ろして構えを解いた。


――先生の教えはこんな場所で生きていた。死してなお途絶える事はなく、まるで血のように受け継がれていく。


無我の境地に至るということは、乱走刀華二刀流・師範代の域に至ると言うこと。つまり、師に追いつくということである。


昔の山崎は、師範代には遠く及ばなかった。強いとは言っても、先生を相手にすれば弄ばれる程に。無論、昔の光なら尚更だ。


しかし、今の光なら――、


(やってやる……!)


昔よりは確実に強くなっているのだ。


生きているか、一体誰なのかは不明だが、先生を殺した浪士に復讐するために。


そして、この不器用で暖かい人斬り集団――壬生浪士組の行く末を見届けたくなったからだ。


そうは言っても、所詮は光と同じく人斬りはどこまでも人斬りである。そんな彼らが掲げる「誠」にはどんな想いがあるのかを知りたくなった。


――闇と蛾が輝きに魅せられるように、同じ穴の狢の彼らが持つ、危うい光を求めて。