「失礼致します」
すっと障子が開いて、部屋に夜空の光が入り込んだ。
「義虎か」
「夜分遅くに申し訳ございません」
「構わんよ。何かあったのか」
成政は義虎の方に向きなおして座った。
「夕様が帰ってこられたとの噂が立っていることは、ご存知のことと思います」
「ああ、知っているよ」
「では、それが沢村家の者の耳にも入ったというのは」
義虎のその言葉に、成政は一瞬顔色を変えた。
だがそれは、成政も予想していたことだった。
「……そうか。それで、動きは」
「今のところはございません。しかし」
「ああ、目は離せんな」
部屋は暗くて、どんな表情をしているのかがわからなかった。だがお互いに、険しい顔になっているだろうことは感じていた。
「このことは、速水には……」
「ここに来る前に伝えました」
そう言って、義虎はふと笑みをこぼした。
「成政様や、私のことを案じておりました。あれとて、心を乱さないはずはないというのに」
速水は、自分から悩み事や心配事を打ち明けたりしない。弱い顔も見せない。咲里家に来たあの日から、ずっと。
「沢村靖忠(さわむらやすただ)は、相変わらず咲里家の領地を狙っております」
沢村家の当主である靖忠は、咲里家の一人娘である夕と、自分の長男である義忠(よしただ)との結婚をもちかけてきた。
そうして咲里家に近づき、いずれは成政の地位を乗っ取ろうと狙っている。
守護大名であり神谷家の当主、そして速水の父である神谷克人を討ち、守護大名に成り代わったように。
夕が帰って来たという噂が広まっている。となれば靖忠はまた、結婚の話を持ちかけてくるかもしれない。
夕は、帰ってきてなどいないというのに。
だがむやみに断れば、戦を仕掛けられてしまう。
沢村家の当主、靖忠は戦を好む。その性質は、咲里家の前当主であり、成政の兄である頼政とよく似ていた。そのために、成政と夕が反対する中、一時的に結婚の話が進んでいた時期があった。
「私は沢村の言いなりになる気はない。そうでなければ我々は、何のために――」
成政が口を閉ざし、義虎も示し合わせたように黙った。
静寂の中で夜の冷たい風が、障子をかたかたと震わせていた。
すっと障子が開いて、部屋に夜空の光が入り込んだ。
「義虎か」
「夜分遅くに申し訳ございません」
「構わんよ。何かあったのか」
成政は義虎の方に向きなおして座った。
「夕様が帰ってこられたとの噂が立っていることは、ご存知のことと思います」
「ああ、知っているよ」
「では、それが沢村家の者の耳にも入ったというのは」
義虎のその言葉に、成政は一瞬顔色を変えた。
だがそれは、成政も予想していたことだった。
「……そうか。それで、動きは」
「今のところはございません。しかし」
「ああ、目は離せんな」
部屋は暗くて、どんな表情をしているのかがわからなかった。だがお互いに、険しい顔になっているだろうことは感じていた。
「このことは、速水には……」
「ここに来る前に伝えました」
そう言って、義虎はふと笑みをこぼした。
「成政様や、私のことを案じておりました。あれとて、心を乱さないはずはないというのに」
速水は、自分から悩み事や心配事を打ち明けたりしない。弱い顔も見せない。咲里家に来たあの日から、ずっと。
「沢村靖忠(さわむらやすただ)は、相変わらず咲里家の領地を狙っております」
沢村家の当主である靖忠は、咲里家の一人娘である夕と、自分の長男である義忠(よしただ)との結婚をもちかけてきた。
そうして咲里家に近づき、いずれは成政の地位を乗っ取ろうと狙っている。
守護大名であり神谷家の当主、そして速水の父である神谷克人を討ち、守護大名に成り代わったように。
夕が帰って来たという噂が広まっている。となれば靖忠はまた、結婚の話を持ちかけてくるかもしれない。
夕は、帰ってきてなどいないというのに。
だがむやみに断れば、戦を仕掛けられてしまう。
沢村家の当主、靖忠は戦を好む。その性質は、咲里家の前当主であり、成政の兄である頼政とよく似ていた。そのために、成政と夕が反対する中、一時的に結婚の話が進んでいた時期があった。
「私は沢村の言いなりになる気はない。そうでなければ我々は、何のために――」
成政が口を閉ざし、義虎も示し合わせたように黙った。
静寂の中で夜の冷たい風が、障子をかたかたと震わせていた。