母親の手には、包丁が握られていた。

「食わせて、やった? なに、それ、あんた、なに、言ってんの、ねえ?」

母親の目に光はなかった。真っ黒だった。

一歩一歩、母親は前に進む。

一歩一歩、父親は後ずさる。

「オォ、ナンカ、凄イコトニナッテルナ」

「除消!」

こんな修羅場に現れた神様。本来なら、藁にもすがる思いで助けを請うところだけど。

わたしはこの神様のことをよく知っている。自分のことしか考えていない。人間の力になろうなんて考えもつかない。

父親は、必死に母親を落ち着かせようとしている。でも、何の効果もなさそうで。

父親の背中が、部屋の壁に当たって。もう逃げ場がなくて。

母親の体から、なにか、冷たい、得体の知れない別のイキモノが、ずるずるずる、と出てきているみたいで。

母親は、歩幅を変えず、一歩一歩、前に進んで。

わたしの頭の中で、雷が鳴ったように、目も眩む光と、耳を劈く音が重なって。

それは、極限の感覚、絶望的な恐怖だと知って。

わたしは、叫んだ。


「除消! ママを、ママを消して!」


ごしごしごし。

ごしごしごし。

ごしごしごし。

……、

……。


母親は、跡形もなく、


消えた。