葬儀とはワケの分からないまま終わるとは聞いていたけど、本当にバタバタと物事が決まっていく。
ウチは喪主の父と長男長女として施主は立てなかった。
父が同等にという意味でそうしたみたいだった。
かなりやせ細ってしまったあたしには喪服がなかった。
試しに母のワンピースを着るとちょうどよかった。
それに母が最期まで腕につけていた時計を腕につけて、母のバッグで葬儀に出た。
自分のものは数珠と真珠のピアスとネックレスと靴だけだった。
1日目に旭川の叔母も混ぜて葬儀の食事など経費が削れるものは削る様に計算をした。
この日ほど経理をやっていてよかったとは思わなかった。
母の物は極力削りたくないし、今は火葬場でダイオキシンの景況で棺に入れれるものが限られてくる。
ココロの写真なんてもってのほかだからココロが一番大好きなボロボロになったブタのぬいぐるみを入れてやる事にした。
後はよそ行きの服とよく巻いてるストール。
そしてみんなが折った千羽鶴を入れてあげる事にした。
こうして着々と葬儀までが進んでいく。
でも遺影だけはなかなか決まらなかった。