社長の旦那と恋知らずの妻(わたし)




「うん。拓斗さんを待っていよう…」





私は拓斗さんが夜までに帰ってくると信じる。


拓斗さんが帰ってくるならいつものように一緒に夜ご飯を食べたい。


一緒に夜ご飯を食べると言ってもほぼ拓斗さんとは話したりはしないけど、拓斗さんが前に居るという事と拓斗さんが私の目の前で食べている。


そんな2つだけで私の気持ちはとても満たされるから。





「とりあえず、消毒しなきゃ」





包丁で切ってしまった指を見て苦笑い。


これくらいの傷で済んで良かった。


位置が数センチずれていたり深さがこれより数センチ深かったらと思うと…


ちょっと切って血が出た程度でもそれだけでも私は結構痛いと感じる。


だから、これ以上だったらとどうなるかと想像するだけでも冷や汗が。






消毒をして、絆創膏を貼った後。


テレビのリモコンを持ちながらソファーに座りテレビをつけた。





「ふーん」





パッパッと、チャンネルをかえていくけれどテレビに映るのは同じ様な番組ばかり。


もうちょっと違うのを…


他と被らないニュータイプの番組を作らないなんてテレビ局のばか野郎!と思ってしまう私は心が狭いんだろうか。





「ふわぁ」





欠伸が出てきて自然と体勢も変わっていき、行儀悪いなあと思いながらもずるずるとソファーに寝そべる形になる。


こんな格好、もの凄くだらしなく行儀が悪いから拓斗さんの目の前じゃ絶対に出来ない。





「眠ーい」





意味もなくそう叫び。


手足をこれでもかとグーっと伸ばす。






バタバタと足をばたつかせて時間が知りたくなり携帯を開く。


まだ、拓斗さんが出ていってから30分も経ってないじゃん…





「あ、メール」





そう呟き新着メールを開く。





______________
〇飯田 拓斗
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今から帰る
______________





そんな一行がとても嬉しくてガバッとソファーから起き上がる。


もう帰ってきてくれるんだ!


いつ受信したんだろう?そう思い届いた時間を確認すると――





「えっ」





時間を見てみれば1時間以上前で。


ガクッと肩の力が抜ける。


今日の帰宅メールに気付けなかった私が悪いけどこんなのってないよ――…











「―…こ」

「んっ、もう少し」

「ゆ……、優子」





肩をゆらゆら揺らされて、もう少し寝たいという気持ちと戦いながら重たい瞼を上げるとぼんやり見える何か。


それが何かを確認したくて目を擦りながら視界を徐徐にクリアにしていくと――





「起きたか?」





うわっと驚いた私は後退りをする。





「た、拓斗さん…」

「待っててくれたのか?」

「えっ?ああ、はい」





私、寝てしまったんだ。


拓斗さんの帰りを待とうとしてテレビをつけたけど面白くなくて、それからは思い出せない。





「ふて寝…?」





そうそう、そうだった!


ソファーでふて寝するように寝たんだ。






不貞腐れた原因は私なのにね。


ラジオに食い入り過ぎて拓斗さんからの帰宅メールに気付けなかった私が悪い。


それで、勝手に間違いをして…





「ふて寝?」

「え、あ」

「ふて寝したのか?」

「しちゃったみたいです。拓斗さんは気にしないで下さい」





あはははは、と笑ってみたけど拓斗さんは今一つ納得してないみたいで。


はぐらかされたら誰だってそうなるかもなんて思っていたら。





「ふて寝の原因は俺か?」





――えっ。





「違いま、すよ?」

「その間は必要なのか」

「間なんて開けてませんけど」





なんて白々しく言った私の顔を疑うような眼差しで近付けた拓斗さん。


これは近すぎる…!






「た、くとさん…」

「なんだ」





なんて言う拓斗さんの顔はいつも通り。


こんなにも私と顔の距離が近いのに、ポーカーフェイスのままの拓斗さんに正直イラっとしてる私がいる。


私はこんなにもドキドキしてそれはもう胸が壊れそうな勢いなのに拓斗さんは…





「――しようか」

「えっ」

「キスしようか、と聞いてる」





う、え、ちょ、ちょっと待って!


拓斗さんが今言ったキスって唇と唇が重ね合う行為の!?


日本では接吻と呼ぶあのキス?


それとも、それとは全く別で‘キス’と呼ばれるものがあるの?





{ブーッブーッブーッ}





焦る私の耳にものすんごい大きなバイブレーションが聞こえてきた。






それと同時に、私の頭と耳がそのバイブレーションに合わせ震える気がする。


なにこれ…、すっごく気持ち悪い。





「これはなんですか?」

「どういう事だ?」

「揺れとバイブ音です。ブーッブーって聞こえますよね?」





なんて問われた拓斗さんは動きを止めてから、辺りを見渡してから首を傾げた。





「聞こえないが」

「嘘」

「嘘ではない」





そして、ハァと溜め息を吐いた拓斗さんは私の顔をジーっと見つめた。





「したくないならそう言ってくれ。無理強いでするもんじゃない」





キスは…


私はした事がないから、今すればファーストキスのお相手は拓斗さんになる。


恥ずかしいけど…、と私は俯きながら口を開いた。






「それは…」

「したくないんだろう?」

「違います違います。私、本当は拓斗さんと」





こんな事、自分の口から言う日がくるなんて。


だけど、したいと思うのは事実だから。


小さく深呼吸してから俯いていた顔をあげて拓斗さんを見る。


今なら言える気がする。





「キスしたいです!」





気合いをいれた所為かリビングいっぱいに響く。


そして、シーンッと静まるリビング。


拓斗さん、何か言ってくれないの?


私は恐る恐る片目をうっすら開くと…





「えっ」





次は片目ではなく両目で。


心ではちゃんと分かってるけど念には為にとリビング隅々まで見渡す。





「今の夢だったの…?」






夢だと分かったのに今でも私の胸は高鳴り続けていて、現実だったのかもしれないと疑うくらいに残るリアルな声と、そして不思議な感触。





「ハハハ」





なんか情けなくて笑える。


全く感情が込められていない笑い声が悲しいほどにリビングに響く中、また寝たら続きが見えるよ!と何かで聞いた台詞を思い出す。


もし今すぐ寝たら夢の続きが見れるなら私は絶対に寝ない。


夢の中では幸せだけど覚めた時のこの切なさに耐えれないし、もう二度と夢であんな事は言ってほしくない。





「っていうか今何時?」





寝てる間も握り続けていた携帯を見る。


きっとこれだ…


この携帯の仕業だったんだ。


夢の中のバイブレーションも震えも、耳元で携帯を握ってたからだろう。