「……っっ」
そんな暖かい手と手に涙が一滴。
二滴…三滴…次々とこぼれていく。
「せんせ…っっ」
大好きな人が自分なんかを好きになってくれた。
届くはずないと思っていた気持ちが奇跡的に相手に届いていた。
抱きしめて、キスをして。
幸せが溢れた。
「ぅっ…ぐすっっ」
ありがとう。
私の初恋を叶えてくれて。
こんなに幸せな気持ちにしてくれて。
きっと私は先生から一生分の幸せを貰ったよ。
だからね…。
「さよなら…先生。」
こんなに幸せな夜は一日だけにしとこうと思うの。
神様にお願いした今夜だけに…。
握った手をもう一度握り直し、先生を見つめる。
忘れないよ、先生の温もりや感触。
忘れれる訳がないから。
「ごめんね…ありがとう。」
安心して眠っている先生のおでこにキスをし、ゆっくりと手を離す。
そして私は、今まで生きてきた中で一番幸せで一番悲しい夜に終止符を打つかのごとく部屋を出た。
「会長おはよ!!!」
「………。」
「会長?」
「え?あ…ごめん、おはよ。」
上谷の声でハッと我にかえった私は、今学校に向かっている最中だった事を再確認した。
やば…ボーっとしてたよ。
昨日の事から、何だか心が空っぽになってしまったようだ…。
「大丈夫か?何か元気なくね?」
そんな私を察したのか、上谷が珍しく心配そうな顔を向けてくる。
「まぁ…ちょっとね。」
「俺、話し位聞くよ?」
「え……。」
またまた珍しい事を言ってきた上谷は、とても真面目な様子だ。
「じゃあ…放課後教室で待っててくれない?」
「おぉ、解った。」
私が話すと確信したのか、急に笑顔になった上谷は足取り軽く学校へと歩き出した。
そんな上谷に罪悪感…。
本当は放課後、相談をするんじゃないんだ。
ごめん、上谷。
なんか騙してるみたいだね。
私は、上谷にお別れを言おうとしてるんだ。
また明日っていう別れじゃなく、また会える日までという長い長いお別れを……。
「麻椿おはよ!!」
「亜季葉…。」
上谷に別れを告げると決めてから周りの音が、景色が、全てがぼやけている。
「どうした?思いつめた顔だね…何かあった?」
それに、上谷に別れを言うという事は亜季葉にも言わないといけないんだ。
「ねぇ亜季葉。」
「ん?」
「午前中さぼらない?」
「は!?」
真面目そのものの私が初めて口にした悪い言葉。
いつもは会長という立場や、お手本にならなきゃという責任感とかでこんな事を言えなかった。
でも、もうそんな考えは必要ない。
今は何よりも亜季葉や上谷、これから長い間会えなくなる大切な人達と話しがしたい。
「…いいよ、さぼろっか。」
「ほんとに!!?」
「うん。麻椿がこんな事いうの二度とないだろうし、それに…。」
笑っていた亜季葉の顔が固まる。
少し悲しげな、思い悩んだ顔。
「私に、大事な話しがあるんでしょう?」
「え…。」
下を向いていたはずの亜季葉が、勢いよく顔を上げた。
「違うの?」
確信をついた亜季葉の言葉が私の胸にささってくる。
そして、まっすぐ私を見るその目が隠している感情をも見抜いてしまいそうで、まともに亜季葉の顔を見ることができない。
「じゃなきゃこんな誘いしないでしょ?」
「うん…そうだね。」
いつもの私は優等生でとおってるもんね。
「大事な話しなら私もちゃんと聞きたいし…よしっ早く行こ!!!」
「えっちょっっ!!あきはっ!!?」
呆然と立っていた私の腕を引っ張り、私達は勢いよく教室を飛び出した。
長い廊下を走り抜け、階段をも凄いスピードでかけおりていく。
軽い足取りで進んでいったその先には、もう下駄箱が見えていた。
「麻椿、ファミレスでいい!?」
「え…あ、うん!!」
「やった!!私一回でいいから麻椿とファミレス行きたかったんだぁ。」
そう言いながら振り向いた亜季葉に息をのむ。
今まで見てきた中で一番の、最高の笑顔…。
「おい!!?お前達どこいくんだ!!」
「っっやばい!!麻椿、走るよっ!!」
「うんっ!!」
必死に追いかけてきた先生を後ろ目に、私達はファミレスへと走りだす。
さっきと同じように、亜季葉が私の手を力強く引っ張りながら走ってくれる。
「……さよなら。」
「え?なに?」
「ううん、何でもないよ。」
走りながら通り抜けたこの門を、私はもう通る事はないだろう。
ありがとう。
沢山の思い出を、出会いを。
この学校が、みんなが大好きだけど、私は今日で辞めようと思う。
そう決意したから…。
「もうすぐだよ!!」
「ん…。」
楽しそうな亜季葉の後ろで、一筋の涙が流れたのは内緒……。
「チョコレートパフェと苺パフェがおひとつずつ、以上でよろしいですか?」
「はい、お願いします。」
少し学校から離れたファミレスに入ると、朝だからかまだお客は少なく静かだった。
「静かだね。」
「うん。」
パフェを待っている間、何となく二人の中には気まずい空気が流れてもどかしい気持ちになる。
早く、早く本題に入らないと…。
さっきからそうは思ってはいるけど、私が口にするのは水ばかりだった。
「ねえ…麻椿。」
「ん?」
そんな私の様子に気づいたのか、亜季葉が私を見た。
「どこか…遠くになんか行っちゃわないよね?」
「………。」
カランッ…と氷が音をたてる。
うまい具合にバランスよく組み合わさっていたはずなのに、それは少しずつ溶けていき脆く崩れてしまった。
「話し…始めよっか。」
亜季葉の問いかけに否定も肯定もせず、私はようやく口を開く。
その返しに疑問をもちながらも、亜季葉はコクンと首を縦にふった。
「あのね……」
それからは淡々と、あくまで冷静に全てを話した。
田中財閥の一人娘で、将来は跡を継ぐということ。
ある日、執事が冨田先生に変わって恋をしてしまったこと。
そして私のせいで倒れてしまい、もう無理はさせたくないということ。
今まで隠していた事を全て話し終えると、少しだけ気が楽になったきがした。
「これで全て。…今まで隠しててごめんね。」
話してる途中、きっと嫌われると確信していた。
いや、嫌われたいと思っているのかもしれない。
少しでも別れへの悲しみを減らすために…。
「………たね。」
「え?」
「今まで頑張ったね、麻椿。」