『好きなようにしていいから』
「………。」
自分の中にある感情に気づいた瞬間、じぃちゃんの声が頭に響いたように思い出された。
俺の好きなように…。
少し離していた田中との距離を縮めようと歩みを寄せる。
その様子に田中は気づく気配がなく、ただ泣いている。
もう泣かないでいい。
俺の事でそんなに悩まなくてもいい。
大丈夫だから。
そんなに簡単に壊れたりしないから…。
ただ、はじめてなんだ。
こんなに人を守りたいと思ったのは。
だから…。
ギュッ
「せ…せ…?」
笑って、麻椿…。
なにが起きているというのだろう。
目が覚めたら先生がいて、怒鳴られて…それにも確かに驚いたけど、今の状況が一番驚いてる気がする。
「もう泣かないでください。」
すぐ近くから聞こえる先生の弱々しい声。
全身から感じる熱を帯びた先生の体温。
そして、背中と後頭部にまわされた大きな手。
その全てに意識が集中して、いつのまにか涙は乾いてしまっていた。
「先生……?」
「お嬢様…。」
これで、先生に抱きしめられたのは二回目だ…。
「泣かないで下さい…。」
なんて弱々しい声…。
さっきの怒鳴った時の声とは全然違う。
まるで何かを恐れているような、そんな感じ。
先生、もう私泣いてないよ?
涙流れてないんだよ?
だからそんな悲しそうにしないで。
「せんせ…。」
もしかして、今泣いてるのは先生の方じゃないの…?
私を抱き締めたまま動かない先生は、ただゆっくりと呼吸だけをしていた。
そして、トクットクッ…と動く心臓の音がやけに響いていた。
一向に弱まる事のない手は相変わらず私を包みこんでいる。
…あったかい。
先生に触れている所から、私の身体はどんどんあったまっていく。
感じた事のある、この温もり。
先生に抱き締められたのは初めてじゃない。
だからかな…身体がちゃんと覚えてるの。
先生の温もりや匂い。
そして、安心感を…。
動かしていなかった手に力をいれ、私も先生を抱き締め返した。
すると、二人の体温をもっと近くに感じられた。
「おじょう…さま?」
…離したくない。
この手を。
この温もりを。
…先生という存在を。
「ーーっっ」
抱き締め返した手の力を強め、先生の胸に顔をうずめていく。
「…どうなされました?」
少し驚きながらも、そう言って私に優しく問いかける先生の声はまだ寂しそうだった。
ねぇ神様。
一つだけ我が儘を言ってもいいでしょうか。
もし許されるのなら、今日だけでいいんです。
私に幸せな夜を下さい。
素直になる勇気を下さい。
今日が終わったら、いくらでも我慢してみせるから。
どんな事にも耐えるから。
だから…。
だから神様、お願いです。
先生に恋をする事を…。
想いを伝える事を許して下さい……。
「……好き。」
「え?」
「先生の事が…好き…。」
押しつぶれるかのような小さな声で、そっと先生への想いを囁く。
「お嬢様…。」
すると、先生はゆっくりと身体を離した。
今は…顔見れない…。
泣きそうだし、恥ずかしくて顔が赤いだろうから。
「私を見て下さい、お嬢様…。」
「っっ…それ、は…。」
勘弁してもらえると有り難いんだけどな。
「顔が見たいんです…お願いします…。」
先生の声、さっきまでと違う。
あんなに弱々しかったのに…。
今は、優しくてちょっと甘く聞こえる声。
言葉に応えるようにゆっくりと顔を上げると、そこには微笑んでいる先生がいた。
「せ…せ…?」
そして少し照れているようだった。
「…本当ですか?その言葉。」
「…嘘ついてどうするんですか。」
こんな緊張する冗談なんて言えるわけがない。
そんな事、先生が一番解ってるでしょ?
「…そうですか。」
私の想いを確認した先生は、顔を手で隠して下を向いた。
「え?どうしたの…?」
もしかして風邪が…。
「すいませんお嬢様。無礼をお許し下さいませ。」
「え、なにが…?」
私の質問を全て無視して、先生は私の顔に手を差し伸べてきた。
そして、ゆっくりゆっくり…。
「麻椿。」
二人の唇が、重なった。
「先生…。」
ふわっとした軽いキス。
でも、そこから伝わってくる熱は何よりも深くて大切なものに感じれた。
一度のキスで好きが溢れる。
いつのまにこんなに気持ちが大きくなっていたのだろうかというほどの好きが。
唇を離した先生は、じっと私の目を見て微笑んだ。
「…好きだ。」