「手代木さん。
そんなにすねるなよ。
なあ、昔のよしみでここから出してやってもいいんだぜ…」
藤田が最後まで言い終わらない内に、酔った逮捕者が牢に近づいてきた。
藤田はその方とは逆にその場から立ち去った。
酔っ払って官憲に連れて来られた浪人風の男は、手代木の牢の中に押し込まれた。
手代木のそばに男が倒れ、ドスンという音がした。
「こっから出せ!」
彼はそう叫んだが官憲は無視して行ってしまった。
手代木はその声に聞き覚えがあった。
振り返ると、相手も彼の方を見た。
酔っ払いはうつろな目で手代木を見た。
「く、組頭?」
「か、影山か?」
「やっぱり、組頭じゃないですか。
お久しぶりでした。
どうしたんですかぁ」
そう言い終わると、酔いつぶれてその場に寝してしまった。
影山は元京都見廻組のメンバーだったが、手代木とは別の班にいた。
鳥羽伏見の戦いで別れたきりでその後はお互い何をどうしているか分からなかった。
「なれの果てが酔っ払いか」
手代木は彼の哀れな寝姿に向かって呟いた。
一夜が明けると官憲が手代木を牢から出した。
まだ、影山は寝ていた。
「またどこかで合うだろう」
手代木は影山に別れを告げずに牢から出た。
一日ぶりで家に帰ると、玄関に葵がぼんやりと座っていた。
「ただいま」
手代木の声に葵が頭を上げた。
「お兄さま。
教室が壊されて…」
手代木と葵が教室に行くと中はぐちゃぐちゃだった。
「昨日、あれからまた、官憲が来て、机を壊し、本を破っていきました」
殆どの机は足で蹴られたのか二つに折れていた。
教科書にしていた漢字の本がばらばらになり散らかっていた。
「クソッ」
手代木は拳で壁を叩いた。
壁に穴が開いた。
片付けが大体終わり、手代木が葵と一息入れていると玄関から声がした。
応対した葵が言った。
「影山さんと言う方が、お兄さまに会いたいと言っています」
手代木が玄関に行くと牢で出会った影山が立っていた。
頭を掻きながら、影山が言った。
「組頭、黙って出ていくなんて水くさいじゃないですか」
手代木は昔のこともあるので話しを聞こうとした。
「まあ、上がれ」
「さっきのは妹さんですか。
美人ですね。
いろいろ話があるので、場所を変えませんか?」
「そうか」
手代木は妹に聞かれたくない昔のこともあるのでちょうどいいと思った。
「近くにいい店があるので、そこにしましょう」
影山は先に立って案内した。
手代木は『小春』という小料理屋に連れて行かれた。
影山は空いている席を見つけて座ると酒を注文した。
「まあ、一献」
手代木は酒を勧められた。
手代木は軽く杯を飲み干すと、影山にも酒を勧めた。
「影山。
君は何をしているんだ」
「便利屋です」
「べ、便利屋」
「声が大きいです」
影山は慌ててシッというように口に手を当てた。