と、こんな具合だから、当然のこと学費は高い。

桁が一つ二つ多いんじゃないかと思うほどすこぶる高い。

加えて毎年超難関大学へ大勢の生徒を輩出している有名進学校なだけあって入試の難易度は全国トップレベルで、並みの頭じゃ受からない。

すると自然、ここに集まっている人間はブルジョワのインテリばかりということになる。

その辺の生徒を捕まえて聞いてみれば、親はたいてい医者か、社長か、弁護士か、そんなレベルだ。

家庭の財力と子供の学力は比例する、というのはあながち間違ってはいないんだろう。


しかし、中にはマイノリティも存在する。例えば、俺だ。


我が家は決して裕福ではない。

普通の公立学校に通っていれば、まだそれなりの生活ができていただろうに、こんな身の丈に合わない高級私立に入学してしまったせいで、我が家はいよいよ火の車だ。

言っておくが、神世を受験したのは俺の意思じゃない。

親のたっての希望を、俺が渋々飲んだのだ。

だから、貧乏なのは俺のせいだ、なんて罪悪感は欠片も持っちゃいない。

あるのは体の芯にまで浸透しきった劣等感だけだ。

そもそも一般的な私立の進学校のイメージといえば、厳しい校則の元、品行方正な生徒達が高い意識を持って切磋琢磨している、といった感じだろう。

ところが神世はそれを見事に覆す異端の存在だ。

勉強さえできればあとはどうでもいいという、柔らしく言えば自主性を重んじる、正直に言えば投げやりな校風によって、年齢にそぐわないブランド品を身につけ、潤沢なこづかいで遊び回っている輩がわんさといる。

しかもみんな、それが当り前で、それこそが自由だと思いこんでいるのだ。

この風潮が俺を責め立てる。

同級生の高そうなバッグや腕時計が視界をちらつく度に焦燥と疎外感にさいなまれ、何とか貧乏に見えないよう振舞おうとすればするほど俺は惨めさを噛み締めなければならない。

しかし自由の恩恵を受けていない俺にも、自由の代償であるプレッシャー――つまり優秀な成績を修めること――は押しつけられる。

理不尽とはこういうことだ。