これ幸い、と居間から脱出しようとした俺だったが、しかし焦りを含んだ声に呼び止められた。
「斗馬くん!」
振り返ると、彩花さんがその場で正座をしているではないか。
「あの、不束者ですが、私、がんばるから!だから、これからよろしくね!」
そしてぺこりと頭を下げて、それを見た優子も改まって俺に向かい直り母に倣った。
「よろしくお願いします」
なんだか土下座されているみたいで、それなのにこちらがものすごく悪いことをしたような気になってくる。
「や、その、こちらこそ……あの、それじゃ俺、失礼するんで」
俺はせかせかと自室へ退散し、ふすまを閉めた。
たった数歩の距離が、ひどく長く感じられた。
……疲れた。
肩を落とし、机の椅子に倒れこむように腰かける。
すごいぞ。
これは想像以上にキツイ。
親父がいるときはまだマシだと思った俺は甘かった。
彩花さんにベタ惚れで、まともに話ができる状態じゃない。
あれで今までよく隠しおおせていたもんだ。
いや、隠す必要がなくなったからタガが外れちまってああなっているのか。
だったら、そのうち落ち着いてくれるといいんだが。
そうじゃなきゃ困る。
親父は俺を無下にしないたった一人の家族なんだ。
居間から笑い声が聞こえて来る。
狭い上に防音対策も何もあったもんじゃないから、いろんなものが駄々漏れなのは今に始まったことじゃない。
でも、よそから聞こえるのとは比べ物にならないほど耳に障るな。
人の気配が薄いことに慣れ過ぎていて、賑やかさがしんどい。
端からそんな気はなかったが、こんなんじゃますます勉強なんてできない。