非常に悩んだ。

散々悩んでみたが、やっぱり小学生と高校生の正しいヒエラルキーの元では呼び捨てにするのが自然だということで、さん付けは止めることにした。

こっちが下手に出て調子に乗られても困るからな。

しかし心の中でとはいえ、いざ呼んでみると違和感しかないから参る。

更には、俺がこれだけ悩んでいるというのに、向こうはさらりと「斗馬さん」と呼んでくるものも気に入らない。

この子供らしくない子供は、いつも無表情で感情を全く表に出さない。

初めは緊張のせいかと思っていたが、どうやらこれがデフォルトであるらしい。

何もかもを達観しているかのように落ち着き払っていて余裕綽綽なその有様は、俺のことを見下しているんじゃないかとすら思えてくる。

「斗馬さん」なんて呼ぶのも皮肉で、自分が大人びているのをいいことに、幼く見える俺を馬鹿にしてるんじゃないだろうか。

……いかん、これは被害妄想だ。

実際そう言われたのでもないのに、人を疑ってはいけない。

分かっている。

分かっているけれど、その冷え切った綺麗な顔を見ると、コンプレックスの塊のような俺は劣等感を刺激されてならないんだ。

くそっ、どうして俺の身近に集まる人間は、こうも標準や常識から外れているやつばかりなんだよ。


「あ、来た来た。二人とも早く座って!」


居間では親父と彩花さんが寄り添うように座っていた。

これは、たいそう仲がよろしいようで。

優子が迷いなく彩花さんの隣に腰を下ろしたので、時計回りに親父、彩花さん、優子、俺、という配置になった。

四人で囲むと、うちのちゃぶ台はこんなにも小さかったのかと驚かされる。

弁当を四つ置いたら、もう余裕がない。

そして両隣にも目の前にも人がいるというのは、窮屈だし奇妙だ。

こうした食事は、小学校の給食以外では記憶がない。

神世は弁当または学食制なのだ。