潮の香りを含んだ朝の冷たい風が、部屋の中へ吹き込んできた。窓から眼下に広がる瓦屋根の家並みも、ここから十八年間、見慣れた景色だ。山が海岸線まで迫っているため、坂の多い地形をした陽当たりのいい町だ。入り江から沖へ出てゆく近海漁船の列が、港の海面上に筋を描いている。地元の県立高校を卒業するまで、私はこの港町で生まれ育った。町の中心に位置する商店街のまん中に、私の父が経営する洋品店はある。爺ちゃんの代から続く町一番の老舗だと、父が常々自慢する"宝木(たからぎ)洋品店"だ。私の名は宝木 澪(みお)。三十路にリーチをかけた今になって、故郷に逃げ帰ってきた哀しき負け犬だ。