『…し…ろ…兎、白兎』

『…目を、瞑ってろよ馬鹿…ッう、がっあ…う…ッ』

『…チッ。靴の裏が汚れた。汚い餓鬼が…』

『うっ…ううっ…白兎、白兎ッ…』


紳士風の男が唾を吐き捨てた後、表通りに戻ってくるのを確認してアンネローゼの上に倒れ込む。

意識が朦朧とする俺の頭を抱きよせ、俺が何か声を発するまで泣き続けた。

俺はゆっくりとした動作で立ち上がり、泥の付いていない部分のパンを千切る。

涙を唾液の代わりにして、それを頬張るアンネローゼを見て心底安心した。


『ご…めんな、これぐらいしか…俺、出来なくて。ごめん…ごめん、俺…無力だ。もっと…カッコよく、お前の事…守りたいのに…ごめん、ごめんッ…』

『うぅっ…謝るのは、無力なのは…ッ私なのですッ!白兎に…何も、何一つ…出来ないっ…!白兎を謝らせてしまった…自分が情けなくて…ッう…ううっ…うわあぁあっ!!』

『泣くなよ…体力使うな…ッいいか、俺達は生き残るんだ…!だから…これぐらいの事ッ…!!俺は、お前を守り抜いてやるッ…そして、アリスに会うんだッ…!!』

『はい…ッアリスに、アリスに会うのですッ!そうすれば――』


それから俺は、生きる為のあらゆる事を行い、それを全て“彼女の為だ”と正当化し続けた。

人の家に入り込んで、残り物のシチューを大きめのコップに注いでアンネローゼに持って帰った。

盗んだお金を使うリスクを嫌と言うほど教え込まれ、虫の食んだ果物を内緒で交換してもらう。

沢山の数えられない暴力が刻まれた身体は、他人に振り上げられた拳を見るだけで歯を食いしばる事を覚えた。