「エスカレータで転んだ愚か者がいるというのは、本当かね」

 どんな肉体的な痛みより、上回る心の痛みというものがある。

 孝輔にとってのそれは、兄──塚原直樹に失敗を細かくつつきまわされる時だった。

 月曜日早々から、縁起のいいことだ。

 しゃべったのは、サヤに違いない。

 孝輔は、兄の前では腰の痛みを隠し、あたかも平静を装って生活したのだから。

 そのサヤは、ようやく白いブラウスに紺のタイトスカートという、OL風になっていた。

 昨日の腰の痛みと引き換えに得た代物だ。

 白いブラウスのおかげで、肌の褐色さ加減が、かなり際立っていたが。

「湿布臭いくせに、私に隠したつもりになっている愚弟がいるのは、ここですかー?」

 サヤの珍しいその姿をゆっくり観察する間もなく、手で仮想メガホンを作ったバカタレに邪魔される。

 無視だ、無視。

 ここでヤツに構っては、進歩がない。

 完全無視に限る。

 孝輔は、岩の心を持とうとした。

 なのに。

「とぅ!」

 腰めがけて、直樹の手刀が飛んできた。

 信じられない男である。

「ってええええ!!!!」

 漏れなく激痛がよみがえった孝輔は、情けない声を張り上げてしまう。

「お前は子供か~!!!」

 涙目になりそうなのをこらえながら、ついに兄を怒鳴りつけた。

「私を無視するお前が悪い」

 きっぱり。

 独裁者回路は、相変わらず見事な炸裂っぷりだった。