そんな中2002年K―1ミドル級トーナメントが開催された。従来のK―1ではヘビー級(100キロ超)だったが70キロ以下までの体重制限を加えた大会だった。

日本人代表トーナメントからはじまりこの大会は優勝候補筆頭の魔裟斗が優勝した。世界大会も開かれ魔裟斗の優勝は期待されながらも準決勝でオランダのアルバート・クラウスの前に破れてしまった。

翌年、再び日本代表トーナメントが開かれ魔裟斗が2連覇を果し再び世界大会に進出した。昨年とは違い下馬評では前年度王者クラウス、ギリシャのザンビディス、タイのサッゲターオが優勝候補に上がっていて魔裟斗は圏外だった。

 しかしその予想を覆す結果になり魔裟斗はギリシャのザンビディスを判定で下したあと、タイのサゲッターオを左アッパーでKO決勝に進出。そして因縁の相手アルバート・クラウスを左フック一閃でKOし見事日本人初K―1世界王者に輝いた。

 この功績は単に格闘技の一団体の王者の輩出に留まらずミドル級の格闘技を世間に広める結果になった。
ミドル級は魔裟斗が切り開き、世に広めたと言っても過言では無い。○○○○著書
 

世界史時間に格闘技の歴史。格闘技オタクこの上無いな。そんな事おもいながら急に眠気が襲ってきた。早朝のロードワークが効いてきたな・・・。

乙女姉さんに怒られるなぁ~・・・・・。