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 朝が来る。

 カイトは―― 家には帰らなかった。

 彼は、会社の開発室で朝を迎えたのだ。

 帰れるハズもない。

 どのツラ下げて帰れというのか、あの家に。彼女の側に。

 ギィ。

 椅子の背がきしむ。

 パソコンの画面は、もう長いことスクリーンセーバーになっている。
 戦車がバンバン砲撃をするような、穏やかではないセイバーだ。

 開発室の電気もつけずにいたために、彼の顔にその砲撃が反射する。

 赤の砲撃。緑の砲撃。黄色の砲撃が交互にカイトの頬で弾けた。

 帰れねぇ。

 昨日のままの背広姿だ。

 よれよれのグチャグチャのまま、カイトはうわごとのようにそう思った。

 怖くてしょうがない。

 こんなに怖い思いをしたのは、本当にこれが初めてだ。

 帰ったら。

 彼女に出会ってしまったら、見てしまうのだ。

 あの茶色の目の色が、変わってしまったことを。

 もしくは―― 別れを言われてしまう。

 彼女の口から、直接『さようなら』なんて言葉を聞かされたら。

 それが怖いのだ。
 震えるくらい、怖い。

 何もかも、自分ではないような気がする。

 彼女に出会ってから、ずっとそうだった。

 最後までそうなのか。

 最後。

 ゾッとしたものが背筋に走る。

 不治のウィルスの詰まった袋を割ってしまった気分だ。

 目には見えないが、確かにいま、自分の肺に入った。
 そんな確信があった。

 もう、どんなに水で洗い流そうとも、薬を飲もうとも―― 手遅れ。

 この悪寒は、症状の始まり。

 どんなに暴れようがわめこうが、これから彼を蝕むのだ。