完全に逃げ切ることは出来ない。

 お茶の時間がやってくるのだ。

 しかし、この頃には、カイトはもうあの夕食の事件を忘れたフリをしていた。
 記憶を修正して、なかったことにしたのだ。

 また、スパゲティを見たら甦ってしまうだろうが。

 変な意地やプライドで、このお茶の時間をフイにしたくなかった。

 彼は、この静かで幸せな時間を維持したかったのだ。
 こんなに、時間を大事にしたことなど、本当になかった。

 時間というのは、彼にとってはパートナーでも友人でもなかった。

 常に追うか追われるかの競争相手である。

 味方をすることよりも、敵になることの方が多かったそれが、いま、自分にゆるやかに巻き付いて、『幸せ』などという言葉を塗りたくっていく。

 居心地は悪いけれども―― そのペンキを引き剥がせないのだ。

 何もしゃべらなくてもよかった。

 でも、何かしゃべってもみたかった。

 しかし、カイトは自分の口をよく知っている。

 プライドとせめぎ合うと、ロクなことにならないのだ。
 うまく伝えるための言葉は、すぐに目詰まりをしてしまう。

 もっと、彼女のことを知りたいのに。

 ここに来る前に、どこにいてどんな生活をしていたか。

 そんなことさえも、メイと話したことがなかったのである。

 本当に、彼女のことは何も知らないのだ。

 ただ、そこにいて欲しいという気持ちが強く前面に立ちはだかって、彼を振り回すだけである。

 きっと、自分のことも彼女は知らない。

 いや、それはどうでもいい。

 カイトの人生を聞かせてもどうしようもないものだし、そういうのは苦手だった。

 でも。

 知りたい。

 全部。

 まるごとみんな。

 メイのことで、知らないことが山ほどあるという事実は、彼女を霞のカタマリにでもしてしまったかのような気分にさせられる。