バッと背中を向けて、いま来た道を戻り始める。

 やはり同じ勢いで。

 どんな制止の言葉をかけられても、今だけは止まらない自信があった。

 このまま、置き逃げは成功するハズだったのである。

「カイト!」

 なんて呼ばれ方さえしなければ。

 ガッ!

 そんな切り札を出されるとは、思ってもみなかった。

 まるで、カイトという存在全てのパスワードであるかのように、引き止められてしまったのである。

 自分の意思とは思いがたい力で。

 たかが、自分の名前だ。

 ソウマだってそう呼ぶし、シュウだってそうだ。
 一生ついて回る、彼の名前である。

 なのに、彼女に呼ばれるものだけが、何もかも違うのである。

 カァっと頭に血が昇った。

 身体を止められた次は、こんな騒ぎだ。

 そんなにも、彼女にキツイところを押さえられているとは思ってもいなかった。

 『好きだ』とは、その気持ちというものは―― こんなにまで、人に強い効力を発揮するものだったなんて、カイトは全然知らなかったのである。

「足んねーのか!」

 思ってもいない言葉で怒鳴った。

 メイが、そんなことを思うハズもない。

 しかし、自分が足を止めてしまったことに対する言い訳が必要だったのだ。

 とにかく、振り返って怒鳴った彼が見たものは、その山の中から一枚だけお札を抜き取る彼女の姿で。

 それで、いいというのだ。そうして、頭を下げるのだ。

 また、頭の中に血が巡った。

 頭下げんな!

 と怒鳴っても、きっと彼女には通じないことが分かったカイトは、当初の予定を敢行したのである。

 置き去り、だ。

 置いていった金を、メイが捨てたりするハズもない。

 置きっぱなしにするハズもない。

 今度は何が起きても足を止める気はなかった。

 そして――置き去りにした。