私が幼稚園の時から一緒に遊んでた、
崇悟君が亡くなった――――――

「嘘でしょ?」

お母さんからの知らせで知った事実。

聞いた後すぐにPCを開き友達にメール。
聞いてすぐに理解することは出来なかった。

一番仲良しの絵莉にすぐに電話した。

次に栞菜にメールでお知らせした。

絵莉は凄く泣いていた。
だって絵里の好きだった人は・・・
―――――崇悟だったから

次の日学校に行くとみんな泣いていた。
当たり前だ。

小学校から仲良しの人がクラスの2分の1だ。
しかも1年・2年とクラスが一緒だった人もいる。
部活、生徒会活動でも一緒だった人だっている。

この時期の訃報はクラスにとっては最悪だった。

崇悟君はもともと体が弱くみんなと同じ活動が、
小学校5年生からできなくなっていた。

中学校に入り野球部に所属したものの、
あまり活動せずに終わった。

体育の授業もやっている姿は見なかった・・・。

中学校2年生の2学期から崇悟君は
体調を崩し始め次第に学校に来なくなった。

知らぬ間に入院していたのだ。

もっと話したり活動したりしたかった・・・
卒業も一緒にしたかった・・・。

私が沈んでいる時に一緒に居てくれたのは
大樹ではなく、優介だった。

メールしても返事は来なく、
自分がどんどん沈んで行くのだ。

けど自分は大樹が好きだから我慢した。
我慢して優介とメールしていた。
同じようなことを経験しているので話していて楽だった。

徐々に気持ちが揺れていた。


―――――次の週の土曜日はお葬式だった。

お葬式に行ってもまだ信じられなかった。
崇悟君のお葬式の中で弟君の言葉で1番涙した。

「お兄ちゃんはいい友達を持ったと思います」

この言葉が凄く嬉しかった。

私たちはお葬式の中で、
2年生の時の合唱コンクールで一緒に歌った、
「旅立ちの時」を歌った。

けど泣いて歌えなかった・・・。
しっかり歌ってあげたかった・・・。

けど崇悟君はきっと天国で聴いてくれているだろう、
と思いながら出来る限りの力で歌いました。

式と見送りも終わって帰りはみんな無言で帰りました。

―――――2週間後は中体連総合大会