「今夜は、空いてる?」
怜樹は、絵の道具を片付けながら、魅麗に尋ねた。
「えぇ。何も予定は無いわ」
「じゃあ、今から僕の家に来て」
「え、家に?」
「うん」
今まで、家に行った事がないのに、怜樹はあっさりと言ったので、魅麗は困惑した。魅麗は、怜樹のアトリエへは何度も来てるが、家には一度も行った事がない。怜樹も、魅麗の家の前に迎えに来た事はあるが、家の中へは入った事はなく、お互い、これまで、家への行き来はなかった。なのに、怜樹は普通に言った。やはり、その人の家へとなると、特別な思いになる。魅麗は、戸惑いを隠せなかった。
「帰り、遅くなっても大丈夫?」
「それは…大丈夫だけど…」
「今から描いてもいい?」
「今から?」
「うん」
魅麗は、怜樹の性格をわかっている。今、最高に描きたい気分なのだろう。だけど、魅麗は、怜樹の家に初めて行く事に、恥ずかしさや何とも言い表せない心情が込みあげてきているというのに、しかも、自分の絵を描くというものだから、心の準備ができておらず、躊躇していた。
「そんなに緊張しないで、僕が描くんだし。大勢の人に見られるんじゃないんだし、裸体を描かせてって言ってるんじゃないんだから」
魅麗は、顔が赤くなりそうになり顔を背けた。
「ごめん、ごめん」
謝る怜樹に、魅麗は、機嫌を治さないそぶりでいると、怜樹は魅麗に近寄り、そっと髪を撫でた。
「ごめん」
怜樹があまりにも優しい声で言うので、魅麗は、心を奪われてしまう。
「嫌だったら、今言って」
怜樹は、囁く様に言う。
「そんなに優しく言われたら、断れないじゃない」
魅麗は、悪戯っぽくふてくされた様に言った。
「ごめん」
怜樹は、本当に悪かったという様に謝っている。
「しょうがないなぁ。……綺麗に、描いてね」
魅麗は、微笑んだ。
「うん、勿論。モデルが美人だからね。じゃあ、行こう」
怜樹はそう言って鞄を持つと、魅麗の手を取り、アトリエを後にした。魅麗は、怜樹に手をひかれながら、初めて出会った日の事を、思い出していた。凱旋門の路地裏で初めて出会った日、突然、手を握られた事を。