一ノ瀬 心
「本当、綺麗な字ぃ書くな」
「習字習ってたんで」
「ほー。そうかそうか」
熊谷の適当な返事を聞き流しながら、選択肢を見つめた。けどそれは一瞬で、私は迷うことなく《1.大学進学》に丸を付けて熊谷に突き付けるようにして提出すると、鞄を持って職員室を後にした。
「おい、待て一ノ瀬」
「………なんですか?」
扉を閉める直前にかかった声に顔を上げて熊谷を見ると、熊谷が何か言いたそうに口を開けて、声の代わりに大きな溜息をついた。
「いや、いい。何でもない」
「そうですか、失礼しました」
今度こそ扉を閉めて職員室を後にした。
冷房の効いた職員室とは違いムシムシと暑苦しい廊下を歩いていると、外から野球部の掛け声やらセミの鳴き声が聞こえてきて更に暑苦しい。
夏の音だ。
騒がしくて暑苦しいけど嫌いじゃない。
頭の中に浮かんでは弾けて消える音は思わず口ずさんでしまいそうな程に楽しいメロディーだった。受験生の夏には似つかわしくないほど楽しげなメロディー。
今日から、夏休みが始まる