新撰組のあるある知識!!

新選組と言えば



「局中法度」


一、士道にそむきまじこと

一、曲を脱するを許さず

一、勝手に金策するべからず

一、勝手に訴訟するべからず

一、私闘を許さず




違反した者は、切腹。


この法度もあり、敵の数より、仲間の命を奪った数の方が多いとされる由縁です。




この法度により、罪もなかった隊士が、命を落とした悲しく恐ろしい約束事です。




それぞれの意味は、副長や局長、上にいる者の解釈で、その時々に応じて、利用していたようです。



それゆえに、上記にあてはまっても、切腹をまぬがれた隊士がいることもまた事実。




が!!


ですが、これも本当に存在していたかどうか・・・


決定打になるものは、見つかっていません。




掟のようなものはあったと思う私ですが、はたして




真実は、過去にあるのみです。




タイムスリップしたい(笑)












組編成について・・・



沖田総司についてのところでも述べていますが、


新撰組には、一番組から十番組くらいまで、組をわけて組織をつくっています。



時に、十一・・・まであったこともあるかもしれません。


そして、それ以下の時も当然あったと思われます。


その時々によって、何番組かは変わってきます。




小説などで、よくつかわれているのは、1865年あたりの組編成になるかと思います。





ですが、私はあえて、年代にこだわっていません。


それは、絶対そうだからと言いきれないからでしょう。





それにしても、なぜ、組編成があったかというと・・・。

















新撰組の組織のありかたが、関係してきます。




このあたりを詳しく調べることで、近藤さんと土方さん、そして組長たちの関係もわかりやすくはなるのですが・・・。


簡単に言ってしまえば、


昔の時代は、上司が亡くなったり、なると、下の者がその地位にあがる。





時代劇を見ていても、そうなっていることが多いかと思います。



腕があるなかろうと、身分によって縛られている的な・・・




それを、あえてしないように決めていたのが、新選組です。



徳川幕府についていながら、やり方を同じにしなかった。



独特の組なんです!


かっこいいな。




つまり、諸説ありますが、



組長になるふさわしい人間を決めるために、編成がおこなわれていた・・・



という考え方をすることが多そうです。


























わたしの一番好きな人です!


たまりません。私情が入りすぎてしまいます。


彼のことなら、どんなことでも知りたいくらいです。



まず簡単に、沖田総司についてです



新撰組には、一番隊から十番隊くらいまで、

隊士をまとめて行動させていました。



平隊士、10人ほどの集まり。


そのリーダーでもある組長と呼ばれる


「一番隊組長」についていたのが、沖田総司です。



同時に、組長と呼ばれる人は「副長助勤」の地位。


局長、副長の補佐でもある。




総司は、新撰組の顔という人もいますね。





わたしは、「隊長」との呼び方が好きなのですが、どうやら


「組長」が正式っぽいです。















沖田さんの刀で、有名なのは。


「菊一文字」という名の国宝級…。


すごい!


そんな風に思っていたら、その信憑性もかなり低いようなのです。



この刀は、かなり古いものらしく…



なぜ、そう呼ばれていたのかというと…。



刀に菊の一文字があったためという説が、有効のようです。







さらに、新撰組は忌み嫌われていた印象を受けますが


町の人たちに拍手喝さいされた



という方もいます。


京都の人に取ったら、危険なことをたくらむ

長州(幕府を滅ぼして、外国を排除する意志の高い人たち)たちの方が

嫌われていたようです。




特に池田屋事件(倒幕派たちの会合)後




彼らが通る時



花道を作って、「よ! 菊一文字!」



や土方さんが歩くときは、嬉しい悲鳴があがったそうですよ。


「きゃああ!」


と、まるで役者さんを迎えるように、していた…


という諸説があるようです。



これが、私はお気に入りです。














沖田さんの最期といえば・・・


「肺結核」


心苦しいですが、これが原因で床に伏せることになります。





「池田屋事件」


で「発病」・・・




(結核には、潜伏期間があり。

この時代など

かかってはいるが、長生きした人も多い。

実は、「土方」さんも、かかっていたのではないかと言われている)








































「池田屋事件」で
「発病」とされることが、多いですがこれも真実は謎。




倒れたことは、証言によりそうなのでしょうが、それが「結核」だけだったとはかぎらない。





目を回した沖田さんらしいですが、私は「熱中症」(時期的にみて)


もあっただろう可能性が強かろうと思います。






ですが、やはり、最期は病が悪化・・・


死期を知ると、胸がつまってなりませんが・・・


彼らの生きざまを良く知れる大事な出来事なのだと思います。











ある日。

沖田さんが、養生している所に、近藤さんが訪れます。






沖田さんは、もちろん。とてもこの見舞いに、喜んだそう・・・。





後日。




沖田「近藤さんは、大丈夫だろうか?」



近藤さんの身を案じる沖田さんですが、沖田さんよりも先に・・・




近藤さんは、すでに「斬首」で亡くなっています。




訪れた時期を考えれば、近藤さん自身


自分の死期を感じていたのかもしれません。