怒られると言う割に、
柊荘司は笑顔だった。


彼もまた、本物なのね。


一人合点した小枝の顔にも、
釣られて微笑みが浮かぶ。





「岬さんには、
きっと俺以上の何かが
あるんです。
それを、ここで
埋めてしまうのは
勿体ないことです。

学校を見返し、
皆にもちゃんと
理解って欲しいんです。
確かこのコンクール、
マスコミが有望な奴
目当てに集まるんです。
奴等にギャフンと
言わせてやれるんです!」





熱の入った言葉に、
小枝も調子を合わせる。



「そうよね!
私の娘だもの。
腕は確かよね!

──ただ、
約束してくれる?」



「はい?」





自室でクラシックを
聴いていた。

菜野花はベッドに
転がり夢うつつに
なっていた。


律儀に、コンコンと
ノックの音がした。



「ふゎぁーい」



マヌケに返事する。


と、嬉しそうな声が
返ってきた。





「岬!!練習するぞ!!」





えー…っと……?


柊君……?



ぼんやりと少し考えて、
母が落ち着いているのは
わかった。


柊荘司は
殴られでもしたのだろう。


菜野花には
全く別人のようにしか
聞こえない。


大体、彼に一度も
呼び捨てられた
覚えがなかった。





「……柊君?」



「ボサッとするな!!

さっきのトコに、
楽譜持って来い!」



リビングに来いとの
命の後に、階段を下る音。


えー…っと……??


楽譜…?



「はいっ」





いつもの柊荘司に
戻ったらしい。


その声に反射的に
返事をすると、
無性にピアノが
弾きたくなってきた。


体がムズムズするのだ。



「楽譜…っ!!」





考え出す程弾きたくなる。


昔の菜野花では
無理だったことだ。


技術があるとは
思ってない。


だけど、私に
出来ることがあるなら──


それは、
音楽を楽しみ、
愛することだ。




先程持って上がった
鞄から楽譜を抜き取り、
階段を駆け下りる。


母親のレッスンルームは
玄関の一番近く。


個人練室は廊下の
一番奥にある。


迷わず
レッスンルームに入る。


勿論、ノックを二回して。