駆け出しそうとした
身体は抑制した。
体育なら
菜野花の方が得意だし
足は遅い方だと
思っているからだ。
「…っ」
傷ついたわけではないと思う。
だけど心が痛かった。
きっと自分の努力の無駄に
なってしまったからだと
自分に言い聞かせてみた。
そして、否定した。
俺が
甘かったのだろうかー…?
練習が。
ではない。
彼女の親の七光りに
頼っていたのだ。
甘えていたのだ。
「会って…
謝らなきゃな…」
一体、今更なにを?
「知らね…ンなこと」
溜息を吐くときに
ふと見つけた忘れ物。
通学鞄だ。
ー…明日、困るよなぁ?
「ただいまぁ…」
母はまだ
レッスン室でピアノを
教えているのだろう。
今日は確か、
小二の男子が
受けているはずだった。
迎えてくれる人はいない。
「なっちゃん?
お帰り」
母親が
ひょっこり顔を出す。
ストレートなロングの黒髪が
肩のラインに沿って
なびいていた。
「あ…れ?
お母様…別人?」
「まさかっ!!
本物ですよ。
今日は帰り遅かったのね。
ー…バッグはどうしたの?
学校の…」
言われてみれば
鞄を瀬尾っていなかった。
少し回想して
すぐに思い当たる。
四音の
グランドピアノの足元に
乱暴に放り投げた
記憶がうっすらと…
そうだ、柊荘司。
ほんの十分程前に四音を
飛び出してから
今までの時間に
自分が何を思っていたのか
覚えていない。
多分、がむしゃらに
家へ走り続けていたのだ。
自分より
彼のことが心配になった。
突然、
飛び出したりなんかして
絶対に怒っているに
決まっている。
コンクールまでの時間は
もう数えるほどに
なっているし何より
柊荘司の代理なのだから
失敗させるわけには
いかないだろう。
明日の学校が嫌になる。
嫌ではないが柊荘司に
会わせる顔がないのに
のこのこ現れて
彼の恥になるのが
嫌だった。
「なっちゃん、
ご飯にしようか。
今日は私が作ったから」
「本当!?」
考えこんでいた
全てが一気に抜けていくのを
感じた。
母親の料理は
本当に久しぶりだった。