翌日、工場は非稼働となった。部品の供給がストップしたせいもある。


昔から東海地方には大地震がくると言われていたので、そういった非常時に備えて部品工場や関連企業は東海地方ではなく、東北地方へ分散させていたらしい。


その東北地方を襲った地震、津波。そして福島原発事故。私の頭の中にはチェルノブイリなんて単語があるだけで、それがいったいどんな事故だったのかは入ってなかった。


工場の非稼働はその後もしばらく続いた。車なんか造っている場合じゃなかったからだ。けれど、工場の稼働、非稼働の連絡は前日の午後3時になるといったギリギリの判断ばかりで、社員のほとんどは自宅待機の状態だった。


もっとも、どこにも行けないけどね ………―