しかし、近衛兵の案内で王室に姿を現したゴーディアの遣いを見た途端、フェルデンの美しい顔が険しくなった。
「お前、生きていたのか・・・」
 フードを脱いで現れたのは、燃えるような深紅の髪。褐色の肌。あの日と変わらぬ野生の動物並みの鋭い緋色の眼。
「ああ。この通り今じゃクロウの下僕と化して、奴に力も奪われちまったけどな」
 何でもないような口調で、ファウストは笑みさえ浮かべて言った。
「今度ばかりはまじで用事で来た。もうアンタの国をぶっ壊したりはしねぇから安心しろ」
 王都を破壊した張本人であるこの青年に、フェルデンが怒りを感じない筈はない。
 けれど、なぜその張本人である彼を遣いとしてわざわざサンタシに送り込んできたのか、何か少年王クロウの意図があることを感じ取った。
「まさか、あいつが・・・?!」
 ユリウスの質問に答えるように、フェルデンはこくりと深く頷いた。愛する母国を破壊されたユリウスは目を吊り上げ、ファウストを睨みつけている。
「クロウ王から文を預かってきた。これを渡したら、悪いけど俺は帰るぜ。そっちの騎士が今にも噛み付いてきそうだしな」
 懐から取り出した藍色の布を、近くの兵に取りに行かせる。
 確かに、布の下から現れた書状には、黒い蠟で封が施され、その上にゴーディアの象徴である黒翼が焼き付けられている。
 フェルデンは、丁寧にその文を開く。


“サンタシ国新国王、フェルデン・フォン・ヴォルティーユ陛下。
 王都の復興の助けになるかはわからないが、我国から数十隻の船を向かわせた。その全てに必要となる資源を積載させている。腕に覚えのある職人も向かわせたが、それ以上に必要な物資等があれば、遠慮なく遣いの者に文を持たせてくれ。
 それから、我国も現在腐った内部の宛建て直しを図っている。もう少しして落ち着いた頃を見計らい、貴国を訪問する意向だ。その際には、サンタシとゴーディアが正式に同盟を結ぶことを望む。それまでにその心積もりを。”

 読み終えた後、フェルデンはふっと透けるようなブラウンの瞳をファウストに向けた。
「お前には悪いが、もう一仕事して貰う」
「なんだと!?」
 ファウストの抗議を無視し、フェルデンは含みのある笑いを溢した。
「残念だったな、お前の主であるクロウ陛下がお前を文係として扱使えということでな」
 さすがはクロウ。確かに、こんなもので罪滅ぼしになる訳ではないが、この青年は何より心の拠り所にしていた魔力を永久に奪われ、そして不老の肉体を得たことで永遠に近い時を、これからずっと刻んでいかねばならないのである。彼にとっては、まさに生き地獄に相違ない。これは彼に対する最も有効な罰なのかもしれない。いつか、彼が自らの手で奪った多くの命について罪の意識をもち、償いたいと気付く日がきたとき、彼に与えらえた“不老”の肉体が刑罰としての効果を発揮するのだろう。
「あんの、くそガキ国王っ!!」
 ファウストは地団太を踏んで怒りを露わにしている。
 フェルデンは感じていた。
 兄ヴィクトルが待ち望んでいた、平和への一歩が確実に踏み出されつつあることを。
「ユリ、クロウ陛下の手配でもうすぐゴーディアから十数隻の船が到着する。王都復興の為の資源と人員を送ってくれたようだ。下の者達に、彼らを迎える準備を整えるよう指示を」
 ユリウスは「はっ」と礼の形をとった。
(クロウが訪国することで、実質レイシア全土に我国とゴーディアの終戦を知らしめ、公に二大国が手を結ぶことが認められることになる・・・)
 亡き兄に向けて、フェルデンは小さく呟いた。
「兄上。兄上の望んだ真の平和が、もうあと少しで実現しそうですよ」
 それを祝福しているかのように、肖像画の中のヴィクトル王が少し微笑んだように見えた。




「よく来たな、クロウ」
 スキュラの背から降り立った少年王の手を取り、フェルデンはがしりと肩を抱いた。
「久しぶりだね、フェルデン」
 フェルデンは、クロウが船では無く飛竜を使ってやって来たことに少々驚いていた。
「ああ、君のおかげで王都もこの通りだ。既に多くの場所で人が賑わい、機能し始めている。まだまだ整備の必要なところも多いけれど」
 白亜城の敷地内に降り立った二頭の黒と赤の飛竜は、ご機嫌な様子で爬虫類の眼をきょろきょろとさせている。
「そのようだね。正直、これ程早く復興できるとは予想していなかった」
 クロウは透けるような白い頬を嬉しげに緩めた。これが魔の国王と謳われていた者とは今では到底考えられない。
「クロウ、長旅疲れただろう。部屋を用意させている。少し休むといい」
 クロウを城の中へ招くと、フェルデンは小声で訊ねた。
「ところで、なぜ今日は君の側近はいない?」
 赤い飛竜の背から降りた付き人は、あの碧髪碧眼の氷の男アザエルではなく、あの盲目の槍遣いライシェル・ギーであった。
「彼は主宰を務めることになった。僕が魔城を留守にしている間は彼が全てを取り仕切っている」
「へえ、彼が主宰を?」
 フェルデンはゴーディア国内でも確実に大きな変革が起き始めたことを改めて感じた。
「そうだ、クロウ。俺は君に謝らねばならない」
 二人の後には、ぞろぞろと近衛兵が列をなしてついている。
 今日、サンタシ国内でも、ゴーディアの国王が訪国するという噂で持ち切りであった。
「へ?」
 きょとんと黒曜石の瞳でクロウはフェルデンを見返した。
「君のお父上の葬儀のことだ・・・。あんなことがあった後にも関わらず、参列できずにすまない・・・」
 特別な来客用の部屋の前までやって来ると、フェルデンはぴたりとそこで足を止めた。
「そんなことを気にしていたの? 貴方の国はそれどころじゃ無かったじゃないか。その気持ちだけで十分だよ」
 この日ばかりはエメにもユリウスにも半強制的に王服を身につけさせられているフェルデンは、いつになく国王らしくクロウの眼に映った。
 すっかり存在を忘れかけていたが、ライシェルは静かに二人から適切な距離をとってクロウの近くに控えている。
「そう言って貰えると気が楽になったよ」
 フェルデンは侍女に客間の両開きの扉を開けさせた。
「この部屋は君の為に用意させたものだ。今晩はゆっくり休んでくれ。何か足りないものがあれば、鈴を鳴らして侍女を呼んでくれ。何でも用意するよう話しておく」
 クロウは困ったように微笑んだ。
「お気遣いありがとう。けれど、部屋を貸して貰えるだけで十分だよ」
 フェルデンは少年王に優しい笑みを向けた。それは、友に向けるものそのものであった。
「ライシェル殿にも部屋の案内を」
 侍女にそう告げると、フェルデンはもう一度クロウに向き直った。
「明日の正午、いよいよ友好の儀を執り行うのだな・・・」
 クロウは真っ直ぐにフェルデンの凛とした表情を見つめた。
 この日を、どれ程待ち望んできたことか・・・。
「ああ、そうだね」
 二大国の提携を機に、レイシアのあらゆる紛争が激減することを期待して止まない。


 その晩、クロウは美しく生まれ変わりつつあるサンタシの王都を客室の大きな窓辺から眺めていた。よく晴れた月の綺麗な夜だ。
王都の東には、聖なる地、セレネの森が広がっている。幸いにも、この地だ
けは戦の犠牲にならず美しいままそこに存在していた。
あの森にある鏡の洞窟から、彼女はこの世界へとやって来たのだった。何も
知らない純真な異世界の少女は、ひどく混乱し、そして嘆いたに違いない。こちらの都合で強制的に連れて来られた上、歳若い人生を無理矢理に奪われたのだ。きっとこの世界と自分のことをひどく憎んだに違いないとクロウは思った。
 けれど、夢の中の彼女はいつでも優しく微笑んでいた。奪われたのは彼女の方なのに、彼女は消えるほんの僅か前まで、クロウが身体を貸してくれたことに感謝こそしていた。
(アカネ、僕はいつだって君から奪うことしかできなかったというのに、君にはたくさんの物をを貰ってばかりだった・・・) 
 クロウは月明かりに目を閉じた。
 クロウと彼女はコインの表と裏のようであった。けれど、それは元々は同じ一枚で・・・。二人が一つの魂を共有していることに変わりは無い。
 
ふと、あの日の光景が蘇る。
 朱音の存在が消えたすぐ後、
「もう、アカネは戻らないのか、クロウ」
と、問うたフェルデンのそのときの様子。そのまま黙り込んでしまった彼のそのあまりに辛そうな顔はとても見ていられなかった。それはまるで、片羽を捥がれた蝶のようで・・・。彼の心の痛みは計り知れない。
 けれど、それ以来彼は一度も朱音の名前を口にしなくなった。それが彼の周囲の者やクロウへとの優しさなのだろう。自分が彼女を救えなかったことを嘆き悲しむことで、クロウが自らを責めることのないようにと。そして、周囲の者に気をつかわせることの無いようにと・・・。
 しかし、クロウは知っていた。彼が変わらず彼女のことを愛し続けていることを。そして、今でもそっと彼女の帰りを密かに待ち続けていることを・・・。
 なぜなら、クロウは見ていたのだ。あの全てを終えた日の夜、敵の手に落ちることなく隠し通せたあの棺の前に跪(ひざまず)き、そっとその棺の淵を静かに触れていたことを。
 彼は今でもああして棺の前に毎夜訪れているのだろうか。



 響き渡るトランペットの響き、太鼓の音。
昨日同様、どこまでも晴れ渡った空が眩しげな太陽を照らし、真新しい建物で溢れ返る王都の街並みは、遠方からきた観光客や民で賑わっている。出店が立ち並び、色鮮やかな紙吹雪が舞い、あちこちで新王都の復興を祝う喜劇が民衆の間で演じられている。王都中が祝福と喜びでお祭り騒ぎである。
 その王都の真新しい大通りを、豪華な馬車が進み、その後に続いて騎士団が行進する。サンタシの新国王と、その祝いの席に駆けつけたゴーディアの新国王が同じ馬車に同乗し、喜びの眼差しで見つめる民衆に向けて微笑みを返している。
 この日、サンタシの王都復興を祝う特別な式典が催された。同時に、国民への感謝を込め、フェルンデンが盛大なパレードを企画したのだ。
 王都の外からも、新しい国王の顔と新しい王都の姿を目の当たりにしようと、多くの民が詰め掛けていた。勿論、国外から駆けつけた者も多い。
「すごい人だかりだね」
 クロウは作った笑顔を崩しはしないが、本音を溢す。
「ああ、予想はしていたが、これ程までとはな・・・」
 フェルデンもそう返した。
 それもその筈、今日はただの王都復興記念というだけではないのだから。
 王都の中心に立てられた、平和の願いを込めたモダンな塔の前で二人の乗った馬車が停止する。
 塔のてっぺんには、黄金に輝く鐘が太陽の光に反射し、美しく輝きを放っている。塔を取り囲むように建設された広場には、真っ赤な絨毯が敷かれ、塔の入り口まで続いていた。
 二人は塔の最上階から王都を見下ろしていた。塔の下は見上げる人々で埋め尽くされ、恐ろしい程の熱気を放っている。皆、新たなる若き王の言葉を心待ちにしているのだ。
 フェルデンは出来得る限りの声を張り上げた。
「我国は心無き悪しき者の手により、望まぬ戦を強いられ、王都を含め多くの民の犠牲を払った。先王であるヴィクトル陛下もそのお一人であられる。しかし、大きな痛手を負ったのは我サンタシ国だけではない。長き間我国と敵対していたゴーディア国もその犠牲となった」
 民衆の間から、ざわざわとどよめきが起こり始める。