もぅ長くないと母は言っていた



普通に高校生活を過ごしていた


友達と出来た



5月

父の容体急変



もぅ息も出来ずらくなり


管を通すことに


管を通すともうおしゃべりできないと言われた



私が病院に行くと

すでにもう管が通っていた


それから学校が休みの日には父のそばにいた


父が毎日つけてた腕時計をわたしがつけてずっとそばにいた