「まさか、桑嶋の奴が
 まだ何か言うとるんですか?
 
 それやったら、わしが・・」

男は一人意気巻いて片膝をつく

「いや、クワジマはもう
 きれいさっぱり極道社会から
 足を洗った、今は堅気だ

 ただ、俺は桑嶋組の者達を
 引き受けたまで・・・」

「そうですか
 一件落着してるんですな

 ほんなら遊んで・・・」

「すみません

 親分の帰りを組員達が首を
 長くして待ってるんです」

初馬の言葉に続く、一夜。

「すまない」 

「それはそれは、急いで
 帰ったらなあきまへんな

 ほな
 今日は、思い存分
 盛り上がりましょう」
盛り上がる部屋を抜け出して
一夜は、料亭の廊下で一人
煙草を吸っている。

見つめる窓には

きれいな満月・・・

「はあ、疲れた」

一夜が、深く吐いた息には
煙が混ざる。

白い煙は、窓に浮かぶ

満月にまとわりつく。

こんな夜は、誰かの温もりを

感じながら眠りたい・・・

その時、座敷から出てきた
夫婦の姿が一夜の瞳に映る。

「ほらっ、そこ
 
 段差、気付けてな」

「うん、わかってるよ」

身重の妻に優しく手を
差し伸べる夫。

仲睦まじい、夫婦の姿に
一夜の顔が優しくなる。


誰かの温もり・・・


『お兄さん・・・』


『お兄ちゃん・・・』


明けようとしていた空を

真っ黒な布で覆ったのは

誰でもない

この、わたし・・・

電話越し

聞こえる声は、言うの。

『結婚する事にした

 ガキが生まれるんだ』

結婚する?

誰が・・・?

放心状態の私にも解ること
がある。

それは、お兄ちゃんが
誰かのものになるということ。

私以外の、女のものになる。


以前にも味わった、この気持ち


どうして

私が、愛する人は

私を、愛してくれない。


そんなの、嫌だよ・・・

私は、声を詰まらせて言うの。
「私が、幼い頃からずっと
 イチヤだけを愛して生きて
 来た事を貴方は知って
 いるでしょう?

 気が狂いそうな程に愛して
 いるの・・・
 
 私は、どうすればいいの?」

私は、このドアの向こう側で
眠る男の存在など忘れて
貴方に問いかけていた。

「知ってるさ
 
 お前がアニキを好きな事
 俺が一番知っている
 
 俺は、いつもお前の傍で
 お前だけを見続けてきた
 
 そんなにアニキが好きなら
 傍にいればいい
 
 ずっと、愛する人の傍に
 いればいいさ」

愛する人の傍にいてもいいの?

こんな、わたしでも・・・
「お兄ちゃん・・・
 
 私ね、やっと気づいたの」

ねえ、お兄ちゃん

言ってもいい?

『言うな

 それ以上
  
 何も聞きたくない』

一夜は聞いてさえくれなかった
私の、この言葉を

貴方は、貴方だけは
聞いてくれますか?

私の、この胸に宿る
熱き想いを・・・

「私は・・・

 お兄ちゃんを愛してる
 
 今すぐ逢いたい、あなたに

 逢いたいの」

貴方の他に、私の愛の告白を
聞いている人がいた。

そう彼は、会澤・・・
私は、貴方の声を探す。

『俺には、何も聞こえない』

一夜のように、貴方も私に
言う?

妹である私を拒絶する?

貴方の声は、言うの。

「どこに行けば
 おまえに逢える?

 カヤコ
 おまえに逢いたい」

あいたい・・・

その言葉に、この胸が震え
この頬を涙が濡らしてゆく。

私も、あいたい・・・

「貴方が望むなら
 
 どこへでも

 飛んでゆく・・・」

ひらり

ゆらり

空中を舞うは、一頭の蝶々
私は鞄だけを持ち、会澤と
暮らした部屋を飛び出した。

蝶々・・・

あなたが、導いてくれる
愛する人の元へと私は急ぐ。

ヒラヒラ、ユラユラ

この夜に、私は舞う・・・

今、この私の瞳に映る人は
私が愛する人・・・

あんなに、幼い頃から
恋焦がれた一夜ではなく

ある日を境に私の兄になった
男の子。

『一夜は、彼の事が好き

 私は、彼の事

 好きになれない

 一夜・・・

 あなた以外の人

 わたし、嫌い』

そんな私は、今では
お兄ちゃんが好き。
正二・・・

貴方を愛しています。

停めてある車に凭れて立つ
貴方はサングラスをして
俯き、煙草を銜えてる。

貴方は今、何を考えてる?

お願い

何も考えないで・・・

サングラスの下の貴方の瞳が
見えなくて、私は少し不安に
なる。

私の目と貴方のサングラスの
奥の目がぶつかり合う。

お願いだから・・・

「お兄ちゃん」

貴方は、煙草を投げ捨て
両手を広げて駆け寄る私を
その胸に抱き留めてくれた。

逞しい、その腕で私を
優しく包む。