咲恵のことを知ったのは半年程前の、
その年最初の熱帯夜だった。

気が向くままにギターをかきならすのが、
唯一の俺の趣味で、
その夜も誰も家にいないのをいいことに、
深夜までギターを鳴らしていた。


アコースティックギターの俺の音色、
とても上手いとは言えるはずもない。


けれど、不安定なその音が俺は好きで。

無心になって弾いていると、
このギスギスした音に吸い込まれて消えてしまうんじゃないかと思った。

俺は消えて、
部屋には弦の切れたギターが倒れている。

そのシーンを想像しては心をからっぽにしようと目を閉じていた。

チャイムが鳴り響くと、
俺は思い切り不愉快になって玄関へ向かったのだ。
ドアを開けると、そこに咲恵がいた。


「――――貴方のギター、側で、聴かせて」


断れなかったのは、
彼女がどうしようもない程、
泣きじゃくっていたから。

ただ、それだけの事。

別に他人に聴かせられるような腕じゃない。
格好いい曲なんて一つも弾けなくて、
よく聴いていたアーティストのバラードを適当にコピーした、その程度。

それでも聴きたいと彼女は言った。
壁越しにかすれた音を聴いていると泣けてきて、
側で聴くしか涙は止まってくれないのだと。変な女だった。


俺の部屋で、俺は彼女に背を向けてギターを弾いた。

後ろでぐすぐすと泣いているのがわかって、
鬱陶しくて仕方なかったけれど、
その時は妙に自分の気に入る音色が出た。

夢中になって手を動かし、俺はいい気分だった。
よく響く。
そう、頽廃的な美しい音―――……。

すっかり満足すると、彼女に向き直り終わりだと告げた。

彼女は涙の跡を残したまま目を閉じていた。
次の瞬間に開いたその瞳ははっとするほど大きくて、
濡れているせいか不思議な色を帯びている。

何も言えなかった。
何を言うべきだったと言うのだろう。


「ありがとう」


かすれた声で呟き、俺を見つめる。


「……帰れば?」


俺の言葉を無視して咲恵は俺の側に寄ってきた。
震える手で、俺の手に触れてくる。

何故か、動くことを許されない気がした。