LOST MUSIC〜消えない残像〜



錫代はへらへらと笑いながら、何でもないことのように俺に言う。


こんな時まで笑うのかよ……。


真っ白な肌は粗いアスファルトに擦り剥かれ、誰が見てもその傷は痛々しい。


そんな傷を負いながら笑うなんて、馬鹿としか言いようがない。


「おい、乗れ」


俺は錫代の前に背を向けて跪いた。


「えっ、あ、歩けますって!」


慌てて遠慮する錫代に、呆れたため息しか出ない。


「こんな足して馬鹿言うな。家で手当てだけしてやる」


自分は何をしてるんだろう……。


そう思いながらも俺は錫代を無理矢理おぶって、家へと向かった。





―――――――
――――

「救急箱、取ってくるからじっとしてろよ」


「すみません……」


俺は自分の部屋のベッドに錫代を腰掛けさせると、すぐに救急箱を取りに部屋を出た。


おふくろはどうやら出掛けているみたいだし、親父はまだ庭で仕事をしていたから勝手口から入ることでバレずにすんだ。


おふくろたちだって、錫代を見たら驚くだろうからな。


本当は俺だって自分の部屋に、星羅にそっくりな錫代なんか入れたくなかったさ……。


さっさと手当てして帰そうと、リビングの棚の上にある救急箱を手に持ちまた来た道を戻った。





ドアノブを回して中へと入る俺。


俺はそこにあった光景にぴたりと動けなくなった。


ベッドサイドのチェストに伏せられた写真たてを起こし見入る錫代――。


「……この人……」


俺は救急箱なんか投げ出して、錫代の手からそれをむしり取り、チェストに乱暴に伏せ置いた。


「勝手に触れんな!」


生傷を直接抉られるような痛みが心を、胸を、支配していく。


あれは星羅との思い出だから――。


「ご、ごめんなさい!わ、私っ」


「もういい。手当てが終わったらとっとと帰れ」


震える錫代に氷のような声で言い放つ。


もう、触れられないように遠ざけることだけで俺は精一杯だった……。





――雨が窓をたたく。


もう、何日降り続いているだろう。


何が悲しいのか知らないが、泣き止むことを知らない空は一面灰色だ。


雲は重さに耐えかね、今にものしかかってきそうなほど。


誰もがこの梅雨の天候に憂鬱になるだろう。


でも、俺は嫌いじゃない――。


降り止まぬ雨は、ベールのようにボロボロの心を包んでいくから。


それに何より、灰色の空はモノクロな俺にお似合いだ。


どうせモノクロな世界なら、雲で全てを隠してしまえばいい……。


できることなら、真実さえも――。





俺は窓についた水滴が流れゆく様を見届けながら、マイペースに鞄に荷物を詰めていた。


「のそのそしてないで行くわよ!」


鞄を無理矢理奪い取りながら、どんどん歩いていく千秋。


何でこんなに強引なんだよ……。


俺は千秋に嫌気がさしながら、渋々後を追った。


「ねぇ、この間はちゃんと翠月ちゃんに会ったんでしょうね?」


千秋は俺に鞄を投げ返し、にこにこ笑いつつ威圧的に問い掛けてくる。


「くだらねぇ。他人の世話なんてやいてんじゃねぇよ」


わざわざ俺と錫代だけが会うように仕組みやがって……。





「他人より自分のことやれよ。雅臣とはどうなんだよ?」


千秋の背中にそんな言葉を投げ掛けると、肩がびくりと揺れた。


「……あ、あたしは、……想うだけでいいの……。雅臣にはあたしはうつらないから」


いつもの逞しさは失われ、声は聞き落としてしまいそうに弱々しい。


「雅臣のドラムを傍で聴ければそれでいい……」


ぴたり動くことなく俯く千秋。


普段は男っぽいのに雅臣のこととなると、すぐ弱気になるんだ。


千秋は、ずっと雅臣だけを見てきたからな……。





「ただ、辛いよ……。昔から誰よりも信頼してたあんたと絶交みたいになった雅臣みてんのは……、痛々しいよ……」


苦しげな声を上げながらも、千秋はスカートの裾をギュと握り、決して振り向こうとはしない。


一瞬垣間見えた、明るさに隠された心の影――。


そして、踏張るよう懸命に前へ向いている小さな体。


……どこからそんな強さが出てくるんだろう……。


ガキの頃からの想いを隠し続けて、小さい体で精一杯強がって……。


「もう、奏斗のせいで辛気臭くなったじゃない!早く行くよ」


ほら、またスイッチを押したように男勝りな千秋に戻る。


俺には到底できないことだ。





「お待たせ〜」


千秋は至って普通に部室に入っていくと、鈍感な雅臣ににこりと笑いかける。


雅臣は無愛想なままだけど……。


「おい、奏斗」


するとふいに、千秋を通り越して、届いた雅臣の声。


珍しく呼ばれた自分の名前に俺は少し動揺した。


「お前、帰って平気だぞ。錫代休みだから用はねぇだろ」


雅臣は薄ら笑いを浮かべながら、放り投げるように言い捨てる。


「そうか。じゃあ、帰る」


やっぱり、雅臣との関係が元に戻るわけないんだよな……。


ここにいないですむなら、俺には嬉しいことなんだから――。





しかし帰ろうとした俺の体は、無理矢理ソファーに座らされた。


「さみしいこと言うなって。翠月ちゃんがいなくたって、いればいいだろ」


あぁ、お節介やきはもう一人いるんだった……。


智也は俺の肩から手を放しながら、柔らかく目を細めて微笑みかける。


「ねえ、翠月ちゃんどうしたの?」


「用事があるって言ってたけど、元気なさそうだったなぁ」


元気がなさそう……。


千秋の質問に対する智也のこたえに、俺の心はなぜか引っ掛かった。


俺が冷たくあしらっても、ちっともめげないような錫代がか……?