「生きている人間には、伝えられると――」
俺は美しい音に導かれ、不思議な空気を纏う錫代を見た。
ただの言葉が、まるで五線譜の上を滑り、言葉以上のものが胸に流れ込む。
「雅臣先輩には伝えられるじゃないですか」
頭の中で錫代の言葉が残響となり、俺は無意識にその言葉をリピートする――。
「私は両親に全部言ってやりましたよ!何も変わらないかもしれないけど、もう悔いはありません」
そう言った錫代の笑顔は、闇を吹き飛ばしそうなほど晴れやかなものだった。
そうして、この後に続く錫代の言葉に、俺は吸い込まれていく。
「それに、星羅さんは生きてるじゃないですか――」
俺は言葉もなく、意識が空気に漂うような不思議な感覚におちいった。
「忘れ去られないかぎり、私達の胸に、生き続けてるんです。星羅さんも、お姉ちゃんも」
フレーズ一つ一つを、錫代は大切に紡いでいく。
まるでそれは言葉というより、想いの欠片――。
一つだって取り落とさないよう、一つだって壊さないよう、言の葉になった想いの欠片は、心にあたたかく広がった。
やがて錫代は果てしなく続く夜空に語り掛けるようにこう言う。
「お姉ちゃんが、見てるから、私は頑張らなくちゃ――」
まだ少し幼い小さな錫代は、何故か強く見えた。
弱さも悲しみさえも錫代の一部になって輝いてる――。
決して強くはないけど、懸命に生きる錫代。
俺はそんな錫代に見惚れていた。
その姿が、星羅の思い描いた六等星そのものだったから――。
その時錫代がふと思わぬことを口にした。
「あと、奏斗先輩は気付いてないけど、星羅さんは幸せだったはずです」
そうして、聞こえてきたのは『六等星』のワンフレーズ――。
「“恋い焦がれたのは不器用な六等星”」
何故か涙が頬を伝った。
理由は分からない。
でも、そのメロディに胸がいっぱいになる――。
「『六等星』の詩は星羅さんからのメッセージです。先輩が前を向くことを望んでるんですよ――」
俺は、何も答えられなかった。
星羅の本当の気持ちはもう分からないのだから……。
――Chapter 4――
失ったはずの光は
いつも俺を照らしてくれてた
だから今走りだす
大切な光へむかって――
――朝目覚めれば、俺は眩しい朝日に目を細めた。
鳥のさえずりに、通勤の車の走行音、今日も勝手に一日が始まる。
そう、いつも聞こえてた向かいの窓からの声が聞こえなくなっても。
きっと誰かがいなくなろうとも、この世界は何事もなかったように回るのだ。
起き上がり瞼を擦るが、押し下げるような重さは拭えるはずもない。
あの後、一人夜中まで美星丘にいた俺は、あまり眠っていないのだ。
俺は散々考えた。
家に帰らず、知らない場所へ行って、全てを捨てようかと……。
だけどやっぱり、俺が選んだのは、哀しみしかないベッドの上だった。
まだ力の入らない手で枕元を探ると、いつものようにケータイを手に取った。
日課として染み付いた俺の指は、無意識のうちに“Vega”の、星羅のケータイ小説のページを開いていく。
そして、毎日、自分に現実をみせる。
これを見ると、目が覚めるんだ。
……電池の切れた時計のように進むことを知らない最終更新日。
この日にちはもう変わることはないのに、毎日繰り返してる。
もうすぐ一年経つっていうのに、こんなことして情けない。
雅臣のことを思い出せば尚更だ。
自分がどんなに臆病な人間かよく痛感した……。
学校になんか行きたくないけど、この家にもいたくない。
だから、俺は適当に支度をすませると、リビングには寄らず玄関へ静かに向かった。
帰ってきた時のまま乱雑に脱がれた靴を引き寄せて、右からはいていく。
「奏斗!昨日はいつまでほっつき歩いてたの!」
案の定、頭上から降ってきたおふくろの怒りに俺は無視して立ち上がる。
「おふくろには関係ねぇだろ……」
「一人で育ったような口きくんじゃないの!」
大声が玄関にこだますると無理矢理おふくろの方に向かせられた。
睨み、責める瞳は雅臣にそっくりだ。
「子供の分際であんな時間まで出歩いて、買ってやったギターもやめて、あんた一体何考えてるの」
もうがみがみ言われるのは聞き飽きた。
おふくろはいつも上から目線で頭ごなしにしか言わないんだから。
俺は嫌気がさして目を逸らす。
でも、逃がさんと言わんばかりに肩を掴んで向き合わされた。
「いつまであんたは、そうやって甘ったれてるの!星羅ちゃんに恥ずかしくないの!」
……星羅――。
おふくろの言葉が深く深く突き刺さる。
「何が分かんだよ、おふくろに……」
その時俺の中で何かが切れた――。
俺はおふくろの手を乱暴に振り払って遠ざけた。
「俺の苦しみも知らないくせに!親だからってずかずか入ってくんな!!」
大声で全部をはき出した。
すると何故が痺れるような痛みが左頬に広がって、俺は目を見開く。
「二度と、母さんにそんなこと言うんじゃない」
目の前には厳しい顔をした親父が、俺を見据えている。
初めてだ――。
いつも笑顔で、いつも俺をそっとしておいてくれた穏やかな親父が初めて怒った。
俺の前に佇む親父の姿は見たことがないくらい強くて大きくて、俺に言えることなんてあるわけない。