「和泉って名前の……女の人に、会ったんです」



 名前を聞くと、先輩は一瞬、眉をひそめた。どうやら、先輩の知り合いであることは間違いないらしい。



「そいつに……何かされたか?」



 辛そうな表情で聞く先輩に、私は首を横に振って答えた。



「言われた、だけです。……自分は、先輩の“恋人だ”って」



 そう言って俯く私に、先輩は深いため息をはいてから、申し訳なさそうに言葉を発する。

「……からかってる場合じゃなかったな」

 か、からかうって。
 不安に顔を上げれば、先輩はふっと、やわらかな笑みを見せる。

「悪い意味じゃねぇーからな。――抱きしめても、大丈夫か?」

「!?……は、はい」

 今までとは違い、一言断ってからの抱擁。これまでのやり方と違うからか、今までにない感覚が、体を支配していた。

「ちゃんと話すから、よく聞けよ」

 ぎゅっと抱きしめながら言う先輩に、私は頷いて、続きの言葉を待った。



「和泉は……元カノ」



 その言葉が耳に入った途端、私は自然と、先輩の服を掴んでいた。
 今の彼女でないことに安心はしたけど……あんなに綺麗な人と付き合ってたんだと思ったら、少しずつ、自信がなくなっていく気がした。

「一年の時に、ほんの一ヶ月付き合った。オレの性格も知ってたし、中学から割と仲がいいってのもあってな。けど、かなり嫉妬深いし、浅宮にちょっかい出したりで……だから、オレから振った。その後、アイツは外国に転校したんだ」

「で、でも……同じ高校だ、って」

「……また、オレたちの学校に戻って来るらしい」

 だから気をつけろ、と先輩は言う。
 学校でもできるだけ一人になるなと、過保護じゃないか思えるほど心配してくれた。



「――――悪かったな」



 ぎゅっと抱きしめ、そんな言葉を発する先輩。
 どうして謝るのかと思えば、先輩は続きの言葉を口にする。



「――――イジメが過ぎた」



 許してくれるか? と訊ねる先輩に、私はどうしていいかわからず、言葉を口にできないでいた。

「やっぱ、男のオレからがいいよな」

 抱きしめる力を緩めたかと思えば、先輩はすっと、片手を頬へと添える。
 まっすぐと向けられた視線からは、逃げることを許さない……射るような鋭い中にも、魅了されるものがあった。



「――――お前が、好きだ」



 途端、心臓がドキッと、大きく脈打つ。
 狂ったように鳴り続け、先輩にも聞こえるんじゃないかって思えるほど。



「当然――お前も好きだろう?」



 どこか悪戯っぽい笑みを浮かべながら問いかける先輩に、私は何も言えなくなり、頬を赤くしているしかできなかった。



 ちゃ、ちゃんと……言われ、た。



 でも、言われたことがまだ信じられなくて。おどおどする私に、先輩は耳元でささやく。

「オレ、本気だから」

「っ……」

「嫌って言わねぇーと……わかるよな?」

「それ、は……」

「さっきもお預け食らったんだ。今度は、何があっても止めないぞ?」

 だから嫌なら言えと言う先輩に、私は更に、頬が熱くなっていくのを感じた。



 きっと……嫌だなんて気持ちはない。



 それに今は、自分が少しは好きになっていると自覚してしまったから、余計に恥ずかしいというぐらいで。
 


 止めてほしいだなんて……思わない。



 でも、あの話をしないまま好きになってもらうのは、なんだか違う気がして――聞いて、もらわないと。