「電話さえ鳴らなきゃ……できたのにな?」



 残念だったな、と悪戯っぽい笑みを浮かべる先輩。頬にあった手は移動し、再び肩に移動したかと思えば――真正面から、ぎゅっと抱きしめられていた。
 目の前には、先輩の胸。
 間近に聞こえる心音に、私は余計、自分の心臓が速まっていくのを感じた。



「続き……するか?」



 耳元で甘く囁かれたそれに、一気に体温が上る。
 さすがにまたあんなことをするのは恥ずかしくて、私は首を何度も横に振った。

「こうするのには慣れたのに、まだ恥ずかしいのか?」

「だ、だから……そういうことは」

 先輩には少し慣れたと思うけど、それとこれとは別物だよ!
 まだ、彼女になるなんて言ってないし――それに。



『志貴くんとは……恋人なの』



 和泉さんの言葉が、頭に思い浮かぶ。
 それを思い出してしまえば、今こうしてくれていることが、もしかしたら嘘なんじゃないかって疑いが出てしまって……離れようと、私は軽く、先輩の胸を押していた。

「? 嫌になったか?」

「そういうことじゃなくて……」

「けど、くっつきたくないから離れるんじゃないのか?――ちゃんと言わないと、わからねぇーぞ?」

 な? と言って、先輩はぽんと、軽く頭に手の平を置く。



 言わないとわからないって……先輩だって、同じじゃない。



 ちゃんと好きとか言わなくて、彼女だとか、そんなことは言って。
 それが余計、和泉さんの言葉に信憑性があるような気がしてならない。
 でも、先輩のこれまでの恋愛を聞くなんてこと……そんなことを聞かれて、いい顔をする人なんていない。
 聞きたいけど、聞けない……。
 モヤモヤとして、胸が苦しくて、息がし難くなる。



「!?――やっぱ、何かあっただろう?」



 俯きかける私に、先輩の両手が頬へと添えられ、ゆっくりと、視線が交わる。



「……泣くほど、嫌なことがあったのか?」



 すっと、目元を指でなぞる先輩。そうされて、自分が涙を流していることに気が付いた。

「っ、……」

「言いたくないなら、さっきも言ったように、無理にとは言わない。けどな――真白が心配だってことは、わかれよ?」

 突然名前を呼ばれ、思わず、間の抜けた声を出してしまう。驚く私をよそに、先輩は続きの言葉を口にしていく。

「オレは、真白を彼女だと思ってる。けど、お前が本気で嫌がれば、これ以上手出しはしない」

「…………」

「断るまでは……彼氏面させろ」

 真剣に、まっすぐ目を見つめながら言う先輩。
 それまで、これが嘘なんじゃないかって疑っていたのに……今の先輩からは、そんなことを考えさせる隙がない。
 でも、やっぱり好きだとハッキリ言ってくれないことだけは、妙に心に引っかかって。



「なん、で。――なんで、そこまで、言うのに」



 涙が溢れてくるのと同じように、引っかかっていることが溢れてくる。

「かの、じょって、言われても……し、信じれない、です。言ってくれないと……すごく、不安で。嘘、なんじゃないか、って」

 自分でも、どうしてこんなに気にするんだろうって思う。
 モヤモヤしたり、ちょっとでも悲しいって思うのは……。



 好きに、なってるんだ――。



 それに気付いてしまったら、もう、あのことを言わずにはいられない。

「せん、ぱいは……恋人って、言ってたけど。ほ、他にも、いるんじゃないかって」

 そんな言葉が出ると思っていなかったのか、先輩は驚きの表情を見せる。

「誰かに……言われたのか?」

「…………」

「真白……言わねぇーと、わからないだろう?」

 まるで、宥めるようにやさしい声。
 それに促されるように、私はゆっくりと、デパートであったことを話した。