「――少しは、落ち着いたのか?」



 静かにカップを置くと、先輩はそんなことを聞く。

「――どうなんだ?」

「えっ、と。少しだけ、ですが」

 今は、別の意味で落ち着かないんだけどね。
 部屋に男の人を入れるのは、人生初のことで……嫌ではないけど、そわそわとしてしまう。

「真白、携帯出せ」

「誰かに、かけるんですか?」

 ポケットから携帯を出すと、先輩も自分の携帯を出す。

「メール。送るから受け取れ」

 言われたとおりにすると、何かあればかけろと言って、先輩は携帯を閉じた。
 ……すんなり、交わしちゃった。
 生徒会のメンバーで交わしているのは、紫乃ちゃんと翠先輩だけ。クラスの人でも男子のアドはないから、これも初のことだった。

「ま、何もなくても、気軽に連絡しろ」

 やわらかな笑みを見せると、先輩は再びカップに口を付けた。

「…………」

「…………」

 ど、どうしよう。
 何か話そうとは思うけど、部屋に二人きりだなんて状況は……。



『なんでだよ。付き合ってるんだからいいだろう?』



 嫌な感覚が、体を走る。
 さっき抱きつかれた感覚と、あの時の感覚が重なる。



 ――――いや、だ。



 自分で体をぎゅっと抱きしめれば、さっきの男の人の香水が臭い、余計に嫌悪感が増してしまって。

「どうした?」

「……着替え、ます」

 急いで洗面所へと行き、桜色のシャツと、Gパンに着替えた。



 気持ち、悪いかも……。



 こんな状態じゃ、会話なんてまともにできないかもしれない。
 そう思った私は、先輩に帰ってもらおうと話を切り出した。

「ちょっと、気分が悪いので……」

 だから帰ってほしいと伝えれば、先輩は真剣な眼差しを向ける。

「一人で、大丈夫なのか?」

「は、はい。休めば治りますから」

 ……だめ、だ。
 これ以上一緒にいたら、本当に話せなくなるかも。
 怯えた声を出してしまいそうで、私は自然と、先輩から距離を取っていた。

「……オレが、怖いか?」

「ち、違いますよ! 本当に、大丈夫ですから」

 ぎこちないながらも笑みを見せると、未だに真剣な表情の先輩。怖いわけじゃないのに、咄嗟に私は、視線を外してしまった。
 先輩……気分、悪くしたかなぁ。
 チラッと横目で確認すれば、先輩は軽いため息をはいた。

「そんなに……帰ってほしいか?」

 聞こえたのは、どこか淋しげな声。
 帰ってほしいというか、迷惑、かけたくないし……。

「ま、お前がどうしてもっていうなら帰るが」

 すっと立ち上がり、先輩は私の隣に来ると、再び腰を下ろす。驚いていると、そっと肩に手が回されて、



「――無理は、するな」



 そう言って肩を引き寄せると、先輩は言葉を続ける。

「嫌なら嫌。怖いなら怖いって言え。――そんなに震えて、大丈夫なはずねぇだろう?」

 やわらかな音声。抱きしめられた時とは違い、右半身に、じんわりと温かみが伝わってくる。

「せめて、これぐらいさせろ」

 肩から手が移動し、頭をやさしく包む。
 それから先輩は、何を言う訳でもなく。ただ、静かに隣にいてくれた。
 怖いとか……先輩に対して、今は感じていない。
 むしろ今は、こうしてくれるのがうれしいと言うか、なんだか落ち着く気がして。
 体育座りのような体勢になり、私は身を丸めた。
 その間に先輩は、一定のリズムで頭を撫でくれていた。