麗香は想像した。

気持ちが萎えている時の自分は、理性が中途半端に働く。

熱いシャワーで、今日一日の総てを洗い流し、記憶を心の奥に沈み込めるため、ヘネシーを浴びるように飲む。

しかも大音量で、コルトレーンの『至上の愛』を流す。

タイトルに惹かれ買ったものだったが、コルトレーンの吹くサックスに魅了された。

コルトレーンの音には、怒りや哀しみが感じられる。

なんて人間的な叫びの聞こえる音なんだろう。

その音に圧倒されて以来、気持ちが萎えている時はかけている。

そして、最後の審判…

麗香がそう名付けた儀式を行う。


剃刀を手首にあてて、自問自答する。

「明日も生きる価値があるの?」

「もう一日だけ時間を延ばす?」

その時々で、自問は変わるが、答えはヒトツだった。

「明日こそ…」

死にたい訳ではないのだ。

逆に生きて行きたいがための、儀式なのだ。

生きて行く緊張感を感じたい。

生きることへの欲望を確認したい。

其処にはいつも飢えて渇いている麗香がいた。

その飢えや渇きを感じることが生きることであり、それらを満たすことが生きることでもあった。

しかし、今日だけはその儀式…最後の審判を行いたくは無かった。


本能が何処かで、死の匂いをかぎつけているのかもしれない。


だが、今日は救われた。

目の前に海が広がったとき、麗香はそう感じた。