葵も恐る恐る近づいて見ると確かに人影がある。
「綾野、お前は向こうの井戸の所に行って隠れていろ!」
葵は刀の鞘の部分を左手で握り、束の所に右手を添える。まだ真剣を振った事はない。
土砂振りの雨の中、静かに『ジリジリ』と近付いて行く。
「誰だ!!?」
「うわあーっ、びっくりしたあ…」
「名を名乗れ、名を!」
「私ですよ、私、『弥兵衛』ですよ、『弥兵衛』…」
葵はその名を聞いて更に近付いて顔を確認する。
「なあんだ、『弥兵衛』殿ではないか、驚かさないで下さいよ!」
「その台詞をそっくりそのままお返ししますよ。心臓が止まるかと思いましたよ」
「済まぬ。いきなり綾野が『怪しい人影が!?』と言うものだから…綾野、出て来ても大丈夫だ、私の知り合いだ」
綾野を先に入れ着替えをさせる。
「兄上、お入り下さい」
濡れている着物を直ぐ様脱いで褌一丁になり、渡された手拭いで体を拭く。
「綾野、茶を入れてくれ!」
綾野はお湯を沸かした後、濡れた着物類を部屋の片隅に干す。
「粗茶ですが……」
「おおっ、ありがとう」
「綾野、紹介しておこう。こちら、目黒の口入れ屋の『弥兵衛』殿だ』
「弥兵衛殿、これが妹の『綾野』です」