「お疲れ様です」
一歌が与えられた楽屋を一番最後に出た時、いきなり挨拶をされた。
今日は一つの楽屋に三組が押し込められていた。
いつものことではあるが、待機中はどうしても落ち着かない。
売れない歌手が三組揃ったところで、大した会話は生まれないのだ。
「あ、お疲れ様です」
一歌に挨拶してきたのは、中原裕樹、という有名歌手だった。
二年前、デビューするなり、ヒットチャート上位に入り、そのまま売れ続けている。
彼の方が一歌より地位は上だが、この世界には先輩後輩、という確かな縦社会がある。
だから、こうして、裕樹は一歌にきちんと挨拶をするのだ。
「じゃ、一歌さん、行くよ」
笹原に言われ、一歌は裕樹に軽く頭を下げ、その場を去った。
裕樹は一歌と同じレコード会社に所属している。
一歌が所属するレコード会社は音楽事務所も兼ねているが、大して大きくないところだ。
だが、今や社内で密かに「二大スター」と呼ばれる存在が二人いて、大きくなりつつあった。
現に、一歌が入った頃よりは確実に大きくなっている。
その一人が、先程の彼、中原裕樹だった。
一歌は、裕樹のことを正直羨ましく思っていた。
デビュー曲か、いきなりトップ5入り。
その後も順調にヒット曲を出し続け、人気歌手の仲間入りだ。
だが、裕樹より自分の方が歌は上手いと思っていた。
そんなやっかみからか、一歌は裕樹と話すのが苦手だった。