サクラの提案に兵吾は静々と酒をつぐ。
だがサクラの容姿に躊躇してか酒はコップの半分にも満たない位置までしかつがれない。
「アホウが、私の容姿に遠慮するでないぞ。容姿こそ小童であれこの身は千年を越える時を過ごしている。飲み比べで子に後れを取るなど万が一にも在り得ぬわ」
それだけを言うとつがれた半分に満たぬ酒を一気に飲み干し、酌を促す。
これには参ったと、兵吾はコップになみなみと酒をついだ。
「まずは一杯。と言っておきながら飲んでしまったな」
そう言いながらサクラは兵吾の持つコップに酒をつぐ、もちろんなみなみとだ。
けして祝いの酒ではない。
一人の男の黄泉への旅立ちの酒だ。
二人はコップを合わせることはなく、桜を見上げ無言で二度目の一杯目を一気に飲み干した。

「兵吾や、覚えておるか。あの川でおまえが釣り上げた大きな山女。じつに見事な大きさじゃった」
今となっては山女が住むような川ではないが、一昔前まではキラキラと美しく輝いていた川を指差し、サクラはそう問う。
「はい、もちろん覚えてます。釣りは好きですけぇ、いろいろと釣りましたが、淡水魚では結局あの山女以上の大物は釣れんかったです」
子供の頃の記憶に頬を緩める兵吾。
「兵吾や、覚えておるか。幼い頃は足が遅かったおまえが、その負けん気で努力し学び舎を卒業する頃には、かけっこで誰にも負けぬようになっていたのを」
兵吾は毎日走っていた。友達に置いていかれぬようにと、いつかは一番になってやろうと日々努力していた。
「はい。あの頃、走り回っておったおかげで、今でも体力なら若いもんに負けねぇですよ」
二杯目の酒も飲みほし三杯目の酒がコップにつがれはじめる。
酒をつぐ兵吾の手。
落ちぬ土汚れが染みついた長年にわたり農業に従事しつづけた男の手。
「兵吾や、なぜその命を自ら絶った・・・?」
酒はコップの半分に満たぬ位置。
兵吾は酒を置き、サクラの視線から逃げるように背中をむけ黙り込んでしまった。