公園の敷地内には神社があったので、『どうか1人でも多くの方が、ご家族の元に帰れますように』と願いを込めてお参りをしました。





それから間も無く、友人が用事を終えて戻って来たので、帰る事にしました。


来た時とは別のルートで移動していると、津波の被害が生々しく残る地帯を通過しました。


電柱は斜めになっていたり、元々は壁があった工場らしき建物は柱しかなかったり、大きな三叉路だけど信号機が消えていて警察官が手信号で誘導していたり……他にも言葉では説明し切れない状況でした。





この光景を忘れてはいけない。


そう思いました。





多くの人が生きていた場所。

多くの人が働いていた場所。

その場所を、忘れてはいけない。


そう思いました。