木村さんに連れてこられたのは、隠れ家的なバーだった。



こういうお店を知ってるって、さすが社会人って感じ。



カウンターテーブルに隣同士に座る。



木村さんは何を呑んでよいかわからないあたしの為に適当なカクテルを頼んでくれた。





「お疲れ様♪」と、軽く乾杯をする。




「・・木村さん、モテモテでしたね」




「あぁ・・あぁいうの凄い嫌なんだよね。ギャァギャァうるさいでしょ?女子高生かっ!!て思っちゃうよ」



木村さんは口を尖らせて言った。



あたしはその姿がおかしくてクスっと笑ってしまう。




「そういう安達さんだって、上司や同期に囲まれてたじゃん?」




「はぁ・・愛想笑いしすぎてホッペの筋肉が引きつりそうでしたよ」




「まぁ、安達さん、新入社員のなかで一番可愛いって言われてるから、みんな話しかけたくて仕方なかったんだろうなぁ・・」




「・・ハハハ。それは無いです・・」




「そんなことないよ?だって、俺も・・・」




木村さんはそう言うと、左にいるあたしをチラっと見た。




「ま・・まぁ・・あれだ・・とりあえず・・もう一回乾杯しとくか!!」




そういってまたお互いのグラスを寄り添わせる。




カチンと音を鳴らさない乾杯をするのが、やっぱり社会人だ。






それから、あたしと木村さんは他愛も無い話で盛り上がった。



「そろそろ・・帰ろうか?」



木村さんがグラスの中のハイボールを飲み干して言った。




時計を見るともう12時を回っていた。




「もうこんな時間になってたんだ・・・もっと木村さんと呑みたかったなぁ」




あたしはポツリと言った。




本当なら、それは心の声・・としておかなきゃいけないんだけど、お酒が回ったあたしはそんな心の声を口に出していた。




「コラ!優子!!そんな可愛い事を言ってると帰したくなくなるだろ??」



「ハハハハ・・・木村さんだってそういうことは素面の時に言ってください♪」




木村さんはいつの間にかあたしを《優子》と呼ぶようになっていた。




あたしはそれがなんだか、くすぐったくて、距離が縮まった気がして嬉しかった。







木村さんがお会計をしてくれて、店の外でエレベーターを待つ。




「ご馳走様でした・・奢っていただいて・・すみません・・」




「優子。そういう時は《すみません》じゃなくて《ありがとうございます》って言ってもらえると俺的には嬉しいんだけど?」




「あ・・そっか。ありがとうございます!!木村さん!」




あたしは木村さんに愛想笑いではなく、本当の微笑を向ける。





「あぁぁ!!もぉ!!」





木村さんはそう言うと、あたしを引き寄せ腕の中にあたしを閉じ込めた。








・・・え・・・?




なに・・??




お酒のせいか、身体がふわふわする。




足がちゃんと地面に着いているのかもわからない・・・




でも・・・上半身は木村さんにしっかりと抱きしめられている・・・




耳元に木村さんの熱い吐息が当たる・・・




「き・・むらさん・??」




「ごめん・・・もうちょっとこのままで・・・」




木村さんの吐息が耳から頬に移動する。




色気を帯びた木村さんの瞳があたしを捕らえる。




お酒のせい・・・かな・・・




あたしは目をとじて、木村さんの唇を受け入れた。




何度も短く重なる唇・・・




しだいに深く、深く・・・




お互いの舌をお互いが求めていく・・・





だんだん身体が熱くなっていく。





木村さんが欲しくてたまらない・・・








その日、あたしたちは・・・







一線を越えた。









女っていうのは、身体の関係を持ってしまうと相手を意識し始めるもので・・・




そうなると、もう気持ちも身体も相手にしか向かなくなる。




あたしもそうで・・・




木村さんと一線越えてしまってから、どんどん木村さんに魅かれていった。




ところが、木村さんは《一夜の過ち》とでも思っているのか、その日からあたしを避けるようになった。




酔った勢い・・・きっとソレだと思う。






「木村さん!係長から電話入ってます」




「・・あ・・あぁ。ありがと」




挨拶をしても、仕事の話をしても、目を合わせてくれることは無く。




露骨にあたしを避けてる。




・・・あたしも割り切らなきゃいけないのかな・・・




頭ではそう思っていても、木村さんに対する気持ちは反比例して膨れていくばかり。




身体も・・・木村さんの吐息や熱、唇、指・・・を忘れる事は無かった。











「ねぇねぇ、知ってた?木村さんね・・・」




《木村さん》というフレーズに勝手に反応する。




同期の子達が木村さんの話をしだして、コッソリ聞き耳を立てた。







「木村さんって、結婚してるんだって!!」






あたしは、その言葉に完全に打ちのめされた。








・・・結婚してるの・・・?




木村さんが・・・?




ちゃんと立っているのに、足元だけが急に落下したような感覚に陥った。




だから・・・やっぱり・・・アレは《一夜の過ち》だったんだ。







自分のパソコンの前に座り、無意識にキーを叩く。




間違えてはいけないデータを入力いるのに、神経は向かいに座る木村さんに向く。




データを入力し終えて、木村さんに確認をしてもらう。




仕事とはいえ、こんな時に木村さんに顔を合わせたくない・・・




「あの・・・木村さん・・・コレ確認お願いします」




・・やっぱり木村さんはあたしを見てくれない。




視線を下げたまま、パソコンだけを見ていた。





「あぁ。ちょっと待ってて・・・って、コレ・・先月のデータじゃないか?」





「・・え??あ・・すみません!!やり直します!!」






あたしは慌ててデータを受け取り、デスクに戻ろうとした。









「あ・・。安達さん・・ちょっといいかな」




木村さんはあたしの喉元を見て、小さな声でそう言った。






木村さんに連れてこられたのは、非常階段の踊り場。




ここは清掃のおばさんがたまに通るくらいの人気の無い場所だ。




シン・・・っとして雑音一つ聞こえない。




非常階段独特のヒンヤリ感が、あたしを包んだ。





・・・もう俺に関わるな・・とか、会社辞めてくれ・・とか言われるのかな・・。




確かに、今物凄く会社にい辛い。





「・・あの・・・木村さん。あたし・・会社辞めます・・」




あたしは、木村さんが口を開く前にそう言った。





「えっっ?!?!なんで・・?!」





木村さんはあたしの思いがけない発言に驚いたようで、目を丸くした。





「・・だって・・木村さんに迷惑かけちゃうから・・です。
その・・・この間のこととか・・あって・・・避けられてたし・・」




木村さんは、はぁ~~とため息をついた。





「優子・・」




急に名前を呼ばれてあたしはビクっとする。




俯いていた顔を上げて、木村さんを見る。




木村さんは真っ直ぐあたしを見ていた。





「優子・・。避けてたのは謝る。ごめんな・・・でも・・・会社は辞めなくても・・・」





「・・え?」





「辞めなくても・・・っていうか、辞めないでくれ。」





「えっと・・・でも・・い辛くなります・・」




あたしはまた顔を俯かせる。






「優子、おいで・・・」





木村さんはあたしをグイッっと引き寄せた。





あたしの鼓動は一気に速くなる。





「俺、今からずるい事言うけど・・・聞ける?」




あたしはコクンと頷いた。









「俺・・・実は結婚してるんだ。子供はいないんだけど。」




「・・・・・・」




「だけど・・・俺・・・優子が気になって仕方ない・・・」




「・・!!!!!」




あたしは木村さんの顔を見上げた。




「世間一般的にみて、間違ってる事を言ってるんだと思うんだけど・・・
優子が入社した時からずっと優子が気になってた・・・
この間、二人で抜けて呑んで・・その・・・そういうコトになって・・・
最低な事をしてしまったって思ってるんだけど・・・」




「・・・・・・」





「ここ暫く、優子をわざと避けて、気持ちを抑えようとしたりしたんだ。
・・でも・・どうしても、気持ちに嘘つけなくて・・・」




「・・優子・・・俺と付き合ってくれないか?」








あたしは、予想していなかった木村さんの言葉に驚きを隠せなかった。




でも。




いまのあたしにその告白を拒否する事は出来なかった。




あたしは、生まれて初めて《人の男》と付き合うことになった。



しかも・・・既婚者。



これは、道理を外れたことだってわかってる。



犯罪に近いことだってわかってる。



でも、自分の気持ちしか考えられなくて・・・



木村さんの気持ちが嬉しくて・・・



あたしは不倫を選んだ。









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ピンポーーン・・・



あたしはリビングからインターフォンに走る。




インターフォンのカメラには真っ黒な映像。




フフフっ



また、啓介の悪戯。




「今開けるね!!」




鍵を開けると、眉間にシワをよせる啓介がいた。




「コラ!!なんで誰か確認しないで鍵開けるんだ??」




「だって・・この時間は啓介だってわかるし・・・」




「俺じゃなかったらどうするんだよ・・ったく。」




「大丈夫。あたしには、啓介かそうじゃないか位わかるから♪」




「・・・これからは気をつけろよ?」




そう言って啓介はあたしに触れるだけのキスをした。










啓介は平日はほぼ毎日、仕事帰りにあたしの家に来ていた。




スーツのジャケットをソファーの背もたれに置き、ネクタイを緩める。




その姿を見る度にあたしはドキドキしていた。




「何か飲む??コーヒー??お茶??」




「あぁ・・コーヒーにしようかな。」




「了解♪」




あたしはキッチンでコーヒーを煎れて、ソファーでくつろぐ啓介に持っていく。




「はい♪」



「おっ!サンキュ♪」




あたしは啓介の隣に座ると、啓介は自然にあたしの腰に手をまわして、





「今日さぁ、課長がいきなりさぁ・・・」




・・と、会社であった話をあたしに色々話す。




あたしは「うんうん」とその話を聞く。




啓介が話す事は何でもいいから、どんな話でもいいから聞いていたい。




啓介があたしだけを見ている時間が本当に幸せ・・・




啓介の傍にいられるだけで幸せ・・・なんだけど。




やっぱりそれだけではおさまらない。









「・・ねぇ、啓介・・」




「・・・ん??」




「・・チュウしたい・・・」




「俺も・・・」








あたしたちは、付き合うようになってから毎日お互いを求めた。