啓介があたしの部屋で一夜を明かした日、啓介はその日の夜遅くまであたしの傍にいてくれた。



二人でランチに出かけて、スーパーで買い物をして、一緒に夕飯を作って食べる。




一緒にお風呂に入り、愛し合う。




こんなに一緒にいたことは初めてで、何もかもが新鮮だった。




でも。楽しい時間はあっという間に過ぎていく。




さすがに連泊は無理だろう・・というのはわかっていたから、無理矢理引き止めることはしなかった。



「じゃぁ・・そろそろ行くわ」




「うん。」




玄関先で、いつものように触れるだけのキスをする。




あたしは啓介から離れようとするが、啓介のあたしを抱きしめる腕がギュっと強くなった。



触れるキスからしだいに深いキスへと変わっていく。




唇が離れた時、啓介がはぁ・・・とため息をつく。




「・・俺・・・帰りたくないわ。ヤバイな・・・」




「ダメだよ。今日は帰らないと・・・」




あたしはわざと突き放すようなことを言った。



昨日は《帰らないで》なんて言ってたくせに・・・





「俺・・・これから金曜日はココに泊まるから・・・」




「・・え??」




「今日、めちゃくちゃ楽しかったし・・・幸せだったし・・・優子ともっと一緒にいたいから・・・。迷惑・・か?」




「・・迷惑だなんて。逆に嬉しい・・じゃぁ、啓介のお泊りセット用意しとかなくちゃね♪」



「そうだね。また少しづつ持ってくるよ。」





そう言って、啓介は帰って行った。





啓介が帰ってから、いつもより啓介の残り香がする部屋で余韻に浸る。




啓介、帰宅してから奥さんにどんな話をするんだろう?




奥さんは啓介を責めるだろうか・・・?




啓介の首もとの印に気付くだろうか・・・?




それとも、お互い顔を合わさずに過ごすだろうか・・・?





あたしの存在が知られるのも時間の問題・・・




知られる恐怖なんて全くなく、ワクワクする・・・




人の家庭を壊そうとしているのにこんな感情を抱くなんて・・・








啓介がココを出てから1時間が経った。




もう帰宅してる頃だろう。




そう思った瞬間に携帯がバイブした。





【今着いた。さっき別れたばかりなのに、もう優子に会いたくて仕方ない。優子を抱きたくて仕方ない。】




帰宅してから啓介からメールが来たのは初めてで。




啓介の中で、何かが変わり始めたのがよくわかる。




【あたしも啓介に今すぐ会いたい。】





あたしはそう返信して、そのまま眠りについた。







日曜日も啓介は朝からたくさんメールをくれた。




【会いたい】、【愛している】、【声が聞きたい】




読んでいて恥ずかしくなるような内容ばかりだ。




フフフっ・・思わず顔がにやける。




【あたしもだよ♪今日は啓介何するの?】そう返信するとすぐにまた返信。




【今日は今から大学のツレと出かける予定。】




【そっか。楽しんできてね。】




携帯を閉じて、うーーーーんと伸びをする。




奥さんの話が無いところを見ると・・何も言われてない?




それとも・・・あたしには黙ってるのかな・・・?




とっても気になるけど、気にしだしたら止まらなくなるから・・・







さぁて・・・部屋の掃除でもしようかな・・・と思ったときに携帯が鳴った。





・・啓介??




携帯を開くとソコには【田中君】の名前が。




「もしもし?」



「あぁ、安達?おはよ♪なぁ、昼から暇?」



「うん?別に用事は無いけど?」



「だったら、よかったら買い物付き合ってくんない?」



「買い物?」



「そ、買い物。妹の誕生日プレゼント買いたいんだけど・・・よくわかんなくて。あ!!飯奢るし♪」



「お?ホント?んじゃぁ、付き合うわ♪1時間後に会社前でどう?」



「了解♪んじゃぁ、後ほど・・・」






家にいてもつまんないし・・まぁ、いっか。







会社の前で田中君を待つ。



すると目の前に一台の高級車がクラクションを単発にならして停まった。



助手席側の窓が開けられると、「よぉ!!」と田中君が顔を覗かせる。



「田中君?!」



「乗って♪」




そう言われてあたしは助手席に乗り込んだ。



「田中君、こんな高級車乗ってるんだ?」



「独身貴族ですから♪残念ながら他に金使うところないからね・・」



「なるほど・・・」



「さて。昼飯まだだろ?先にちょっと食ってくか♪」



「うん♪」







あたしたちはデパートの最上階にあるレストランに行った。




日曜日のランチタイムということもあって混んでいた。




田中君は順番待ちの紙に記名をしてあたしの元へくる。



「あと、4組待ったら俺たちだから。」



「了解♪」



待っている間、あたしたちは他愛も無い話で盛り上がった。






田中君はやっぱりいい男だ。



同じく順番待ちしている人たちが田中君に見入っている。



あたしも、一生懸命話をしている田中君をジッと見つめる。




・・・啓介とこんな風に堂々とデートできたら・・・



なんてついつい考えてしまう。




「・・なに?なんか顔についてる??」



「・・え?!あ・・ごめんごめん。田中君に見とれちゃって♪」



あたしは軽く冗談でかわす。



「・・・そういうの本気にしちゃうから・・・」



田中君はプイっと横を向いた。



「こらぁ、照れるな照れるな♪」



あたしはまた冗談っぽく田中君の胸をバシバシ叩いた。





やっぱり・・・こういうのがデートだよね・・・



陽の当たる場所で、人の目を気にしないで・・・



だんだん淋しくなってくる・・・



啓介・・・あたし、啓介とこういうふうに過ごしたい・・・





そんなことを思っていると田中君が驚いたような声をあげた。





「あれ??アレ、木村さんじゃない??」





あたしは、田中君のその言葉に過剰反応した。




そして、田中君の視線の先をゆっくり目で追った。





啓介・・・



お店の中からお会計を済ませた数人の団体が出てくる。



啓介はまだあたしに気付かない。



啓介の隣には大学時代の仲間であろう男の人がいる。



そして、啓介は後ろから何やら声をかけられたのか身体ごと振り返り、ポケットから財布を取り出して、その人に渡した。



その手渡した相手は、小柄で、肩までの真っ黒なストレートヘアー、顔も特別綺麗ではなく、ごく普通で。
そして、全体的にベージュ系で統一された服装。清楚・・というより地味な印象を受ける。



・・この人が・・・奥さん?



急に胸が苦しくなった。




「木村さん!!」



そんなあたしをよそに田中君は啓介に声を掛ける。




・・・やだ・・・なんで・・・会いたくない・・・奥さんといるところなんて見たくない・・



でも、あたしの視線は下がる事は無く、しっかりと啓介を見据えていた。





あたしに気付いた啓介は明らかに動揺していた。




「お・・おぉ!田中・・安達・・こんな所で・・偶然だな・・」




「たまたま買い物に出かける途中だったんです。木村さんは?」




「俺は・・・大学時代のツレと久々に飯食いに・・・」



啓介はあたしの顔色を窺うような様子で言った。



あたしは、後ろに隠れるようにいた人をチラっと見て、啓介に言う。




「木村さん、そちら奥様ですか?」







また啓介の顔色が変わる。



「あ・・あぁ・・。」



奥さんは後ろに隠れたままで、チラっとこちらを見てわずかに頭を下げただけだった。




・・・挨拶くらいしなさいよ。奥さんの態度にムカムカしてくる。




「木村さんにはいつもお世話になっております。」




あたしはいろんな意味を込めて、笑顔で言った。




「えぇ?!こんな綺麗な子がお前の会社にいるんかよ?!羨ましいなぁ・・・」




啓介の友達があたしを見て言った。




あたしは「いえ・・そんな」と俯く。






「二名でお待ちの田中様・・・」




お店の人に呼ばれて、双方が別れの挨拶をする。




「では、また・・」




「あぁ・・・」




あたしは軽く会釈をして啓介の横を通り過ぎる。




店内から多くの人が出てきたのもあって、入り口付近がごった返す。




その勢いで啓介と肩が触れ合う。




その瞬間、あたしの右手が啓介の手でギュッと握られたのがわかった。



一瞬のことだったから握り返す時間は無かったが、あたしはチラっと振り返り啓介に微笑んだ。



その後で、啓介の奥さんとも視線が絡んだ。








「・・・にしてもさぁ、木村さんの奥さん・・想像してたのと違ったなぁ・・・」




田中君がステーキを頬張りながら言った。




「そう?上品だったよね・・」




・・妥当な言葉はそれくらいしか思いつかない。




たいして綺麗でもなく、地味で、暗くて。挨拶もろくに出来ない・・・




完全にあたしは奥さんを見下していた。




もし、物凄く綺麗で人当たりもよかったら・・・きっとあたしは嫉妬に狂っていただろう。




でも、違った。




自然と笑みがこぼれる・・






ただ・・・許せなかった事が一つ。




啓介の財布を当たり前のように受け取った事。




仮面夫婦のくせに・・・




良妻面しちゃって・・・




啓介も啓介だ。




なんで渡す必要がある??友達の手前だから??




なんで俺たちはうまくいってますよ・・みたいな真似しなくちゃいけないの??






ランチを終えて、田中君の買い物を済ませる。



夕飯も一緒に・・と誘ってくれたけど、そんな気分では無かったからそのまま家まで送ってもらった。



「送ってくれてありがとう・・」 



そう言って車を降りようとすると、腕をガシっと掴まれる。



「・・ごめん。待って・・」



「何?どしたの?」



田中君はあたしの腕を掴んだまま、あたしの目を見続けた。





・・近くで見ても綺麗な顔してる・・・



あたしがもし啓介と付き合ってなかったら、きっと田中君に惚れてたかも。



そんな事を考えていたら、田中君がゆっくり口を開いた。






「あのさ・・俺、入社した時から安達の事が好きだったんだ・・・」



「・・え・・」



思わぬ展開にあたしは固まった。



「安達・・今彼氏いないって言ってたよな?」



「う、うん・・」



「もしよかったら・・俺と付き合ってくんない?」



「・・・え・・・?」



「俺たちもう24だし・・重い話になるんだけど・・・その・・結婚を前提とした付き合いって言うか・・軽い付き合いじゃない付き合いがしたいんだ。だから・・・返事は急がないから・・・」




あたしは頭の中が空っぽになった。



今まで考えた事もない言葉が田中君から発せられたから・・・









・・・《結婚》・・・









「安達??」




「・・あぁ・・ごめん・・ちょっとビックリして・・・うん・・ちょっと時間頂戴・・」




あたしはそう言って車を降りた。