「なにー?」


フフ、と補欠が笑った。


「なるんだよ、エースに。絶対。じゃないと、連れてってやれねえよ」


「へっ?」


「翠を、甲子園に」


本当に、泣きそう。


甲子園に連れてけ! 、なんて、ただの口約束でしかないのに。


それなのに、一年の時からずっと、その約束のために。


あたしなんかのために、補欠は死にものぐるいの練習を今日までこなしてきたのか。


契約書や誓約書があるわけでもない、単なる、口約束のために。


そんなの、簡単に忘れる事だってできるようなものなのに。


信じていなかったわけじゃない。


でも、期待していたわけでもなかった。


あんな、口約束。


補欠は忘れてるんじゃないのかって、心の片隅でいつも思っていた。


だから、うれしかった。


「待ってろよ、明日」


補欠が、あたしの手を握る力を強めた。


「総理大臣みたいな権力があるわけじゃねえし、魔法が使えるわけでもねえけど。ただ、ボールを投げる事しかできないような、左手だけど」


夏の夕方の風を含んで、補欠の真っ白なワイシャツの裾がふわりと膨らんだ。


一瞬だけ、時間が止まったような気がした。


「翠を甲子園に連れてくんだ。そのために、おれは野球にのめり込んで来た」


もう、補欠の声しか耳に入って来なかった。


風の音も、風に揺れる枝葉の囁きも、大ホールに響くようなひぐらしの歌声も。


「絶対、連れてってやるから。そのために、エースになるために頑張って来た」


公園の前を通り過ぎて行く、車両の音も。


全部、耳に入って来なかった。


「野球以外は無力な左手だけど。それでもこの手で、何が何でも甲子園に連れてってやりたいと思うのは、翠だけだ」


強烈。


稲妻に打たれた瞬間ってのは、きっと、こんな衝撃なんだろうなと思う。


「おれが、甲子園に連れてってやるから」