「………渚。起きろ渚!」
 視界がぼやけている。目の前には自分の肩を揺する人の姿が見えた。その光景は以前にも覚えがあった。まだ眠っていたい自分を優しく肩を揺すり起こす相手。それは紛れもない…………。
「だ………れ?もしかしてお母さん?」
「ちがーう!」
 肩を揺する相手……もとい鈴は、寝ぼけている渚に鉄拳を振り下ろした。
「んぎゃー!」
 頭に強い衝撃を受けた渚はベッドの上で飛び上がった。頭を抑え込む渚だったが、頭上から感じる鋭い視線に渚は恐る恐る頭を上げた。そこには深紅の瞳を吊り上げている鈴の姿があったのだ。
「お、おはようございます鈴さん」
 渚は強張った笑顔で鈴に返した。だがそんな冗談が鈴に通じるはずもなく、渚は再び頭に鉄拳を下ろさてしまったのだ。
「い、痛いです」
 渚は涙目になりながら鈴を見遣る。
「やかましい!部屋の整理もしないで爆睡してるとは、どうやら夕飯抜きでもいいみたいだな」
 渚は鈴の夕飯抜きという言葉に強く反応した。
「いや!夕飯抜きだけは勘弁してくだっ」
「だったら一分でラウジンに来な!それ以上は待たない!」
 鈴はそれだけ言い残すとバタンッ!と扉を閉めてしまった。あまりの衝撃に、扉には少し亀裂が入っている。
「ちょっと待って下さい!」
 渚は急いでベッドから降りると駆け足でラウジンへと向かったのだった。


―☆―☆―☆―☆―☆―


 宿屋のラウジン。そこは薄暗いロビーと違って華やかだった。中央にある四角い大きなテーブルの上には年期の入ったシャンデリアが吊されている。ほかにもお金が架かっていそうな絨毯や、金の額縁で飾られている昼間見た絵と同じものがあった。
 渚は慌てた様子で階段を下りてきた。すると、テーブルには既に鈴がついている。恐い顔をこっちに向けている鈴であるが、渚はそんな鈴のことより鈴の隣に座っている中学生くらいの女の子に視線が向いた。
 薄い茶髪を肩まで伸ばしている彼女に、渚がまず驚いたのはその瞳である。彼女の瞳の色は黒。紛れもなく人間そのものだった。
 そんな渚の様子に気づいた鈴は早速彼女を渚に紹介した。
「おっと、こいつは渚。今日からこの宿で暮らすことになったんだ。ちゃんと挨拶しときな」
 女の子はコクんと頷くと渚の前に近づいてきた。