六天楼に入り一年が経過した頃、季鴬は身ごもった。

「おめでとうございます。これで御子が男子ならば、鄭の御館様もお慶びになるでしょう」

 周囲の侍女の穿った祝いの言葉に、戸惑いを隠せないまま頷く。

 うろたえたのは彼女の言葉にではない。季鴬の傍仕えはほとんどが鄭家から付いてきた者達だ。主以上に、慎文を非難し側室に対抗意識を持っていた。

 問題は自分の身体の変調だ。

──何、これは。

 何を食べても胸の悪さはおさまらないし、頭痛がひどく身体が鉛の様に重たい。あれほど房を出て外を動き回りたいと思っていたのに、今は全てがわずらわしくなっていた。

「初めての時は大抵症状が重いものじゃ。しばらくは安静にして、冷えや締め付ける衣服は避け、身体に負担を掛けぬように過ごせば宜しいでしょう。食事も変えなければなりませぬな」

 六天楼を長く取り仕切っているという槐苑は、皺顔を綻ばせて祝いの言葉を述べ「もうご自分ひとりの身体ではないのですから、ご自愛めされますよう」と結んで帰っていった。寝台の中に、独り呆然としている季鴬を残して。

──この中に、子がいる? あの人の?

 まだ平らなままの下腹部に手を当てて、彼女は自分がいかに「子を生む」という作業を絵空事に考えていたのかと愕然とした。

「よくやってくれたね。嬉しいよ。君に似るのなら、どちらでもきっと美しい子になるだろう」

 慎文は満面の笑みで懐妊を喜んでくれた。それがあまりに予想外だったので、またも季鴬は対応に困り黙って頷くしかなかった。

「具合が悪いのかい? 最初はそういうものらしいが。何か欲しいものがあれば、遠慮なく言いなさい」

 青ざめてまともに返事もしない女に、どうしてこの人は暖かさに満ちた手で触れるのだろう。不思議でたまらなかった。

 慎文は妻の頬を撫でながら、房を見回して「香を焚くのはやめた方がいいね。身体に障るというよ」とたしなめた。