それから俺達は一言も話さずに改札まで行った。
こういう時は普通俺から話さないといけないと思うのだが、何を話したら良いか見当が付かなかった。
先程まで謝りたかった事だって、このままでは到底口に出来ない。
俺達は改札を通り過ぎた。
せめて別れの挨拶ぐらいはしたい。
そう思ってた矢先の事だった。
「妃奈!」
俺は思わず足を止めた。
男の声がした。
確かにその声は滝沢の名を呼んでいた。
滝沢も動きが止まっているから、俺の聞き間違いではない。
「真幸!?」
滝沢はそう言った。
俺が初めて聞く名前だった。
男はこちらへ駆け寄ってきた。
「よ!」
男は妃奈に声をかける。
顔を見たが、やはり俺の知らない奴だった。
「どうしたの、真幸?
家こっちじゃないじゃない。」
「用があって近くまで来たから、妃奈に会いたくなって。
携帯に連絡入れたけど、返事無かったからまだ帰ってないと思ったからさ。」
「それで待っててくれたの?」
要するに、彼らは付き合ってるという事か。
俺は放課後のようにまた苛ついてきた。
自分でも不思議だった。
滝沢だって大学生なのだから、彼氏がいたって全くおかしくない。
彼らが会話しているのが気に入らない。
今度はそんな自分が腹立たしくなってきた。
俺は、こんなにも心がちっぽけな奴なのか?
「まあな。
妃奈、そちらの方は?」
男が初めて俺の顔をまともに見た。
誠実そうな奴じゃないか、
滝沢妃奈を幸せに出来そうな。
「えっと…北条昴先生。
教育実習であたしのことみてくれてるの。」
滝沢は戸惑うように言う。
また、悪い事しちまった?
っていうか俺、この場にいるの邪魔じゃね?
俺はその事にやっと気付いた。
さて、どうやって自然にここから離れようか、俺は頭の隅で考え始める。
「初めまして。
北条です。」
「初めまして。
村田真幸です。
妃奈がいつもお世話になっております。」
本当に良さそうな奴だ。
滝沢が選んだ理由が分かる気がした。
「…滝沢、邪魔して悪かったな。
お休み。」
俺はそう言い二人から離れた。
やっと舞台の袖までやって来たが、二人の台詞が耳に入って来る。
勿論、盗み聞きするつもりなんてさらさら無い。
それでも若き恋人達の幸せな約束は、俺の脳に染み渡っていくのだ。
俺は駅を出て左に曲がり、走り出した。
俺はもう役者じゃないんだ。
それはよく晴れた土曜日の昼下がりであった。
雲一つ無い青空の下、あたしは阿紗子達と共に長い棒を運んでいた。
真夏ではないが、夏に向かっているこの時期の午後はやはり暑い。
それでも明後日の体育祭を楽しくする為に、体育委員を先頭に多くの生徒が体育祭の準備に取り掛かっていた。
教育実習生であるあたし達も、学校からジャージを借りて準備に励んでいた。
昔と変わらないデザインのジャージを身に纏うと、あの頃に戻れたようでとても楽しかった。
「一旦止まって下さい!」
棒の先を持つ先頭の男の子の合図と共に、全員ピタッと動きを止めた。
それからあたし達の運んだ棒は入場門としてそこに立った。
「なんかさ、また高校生してるみたいだよね。」
束の間の休憩に、阿紗子があたしが思ってたのと同じ事を言う。
「本当に。
久々にこんな格好してたらさ、色んな事思い出すよね。」
「高三の時に棒高跳びで、飛び越えるどころか棒に真っ直ぐ飛び込んだ事とか?」
「もう、それは言わないでよ。
結構痛かったんだからね!」
「分かってるよ。
棒に顔面直撃してたもん。
痛くて当然!」
「阿紗子!」
記憶から抹消したはずの思い出が、鮮明に思い出される。
鼻が棒に直撃し、あたしはそのままマットに倒れ込んだ。
確かあの後は、みやびちゃんと阿紗子が保健室に連れて行ってくれた。
最初に戸田が自分が連れて行くと言ったらしいが、二人のおかげで痛み以上の悲劇は回避されたのだった。
そうこう思い出しているうちに休憩時間が終わり、あたし達はまた手伝いを開始する。
次の仕事が、これまた重い物を運ぶので大変だった。
しかも人数上一人で運ばないといけないやつで大変だった。
周りの体育会系の男の子達はスタスタと運んでいくが、あたしはかなり遅れを取っていた。
阿紗子が他の仕事でいないため、尚更である。
だが、中には優しい子もいる。
「滝沢先生!」
一人の少年が駆け寄ってきた。
「こっち持ちます!」
「ありがとう!」
彼のおかげで、倍は速く運べた。
「手伝ってくれてありがとう。
えっと…」
…確か二年B組で1番前に座ってた子だ。
でも名前が分からない。
「B組の磐井祐喜です。」
「磐井君ね。
本当にありがとう。」
「どういたしまして。」
「磐井ー!
ちょっと手伝ってくれー!」
その声に磐井君は後ろを振り向く。
「はーい!
それじゃあ。」
磐井君は爽やかなスマイルを残して走っていった。
やっと体育祭の準備が終わったのが午後4時過ぎ、ジャージからスーツに着替えたあたし達は、三人揃ってレポートを書いていた。
体育祭の準備のおかげで、今日は書く事に困らずにすんだ。
そしてあたしがやっとレポートを終えた時だった。
ドアが開くと共に戸田が入って来て、里田君が呼ばれた。
哀れにも里田君はそのまま戸田に連れて行かれてしまい、部屋に残るはあたしと阿紗子だけとなった。
そういうば…
あれ、どうなったんだろう?
あたしは阿紗子をチラリと見た。
阿紗子は特に変わった様子もなく、レポートを書いていた。
今どうしても聞かなければならない事ではないし、邪魔したら悪いと思ったあたしは何も言わない事にした。
それでも阿紗子と一緒に帰りたかったあたしは待つ事にした。
「どうしたの?」
そう決めた瞬間に阿紗子は言った。
「えっと…後でいいよ。
今直ぐにって話じゃないから。」
「もう終わったからいいよ。」
阿紗子は出来上がったレポートをあたしに見せた。
確かに、終わったようだ。
「えっとさ…
この前言ってたの、あの後なんかあったのかなって思って。」
「あたしもその事言おうって思ってたんだ。」
一呼吸置いて阿紗子は話始めた。
「太一とやり直す事にしたの。
今日その事伝えたんだ。」
阿紗子は嬉しそうに笑っていた。
「最初は、妃奈に言った通り友達の方が楽だから、あのままの方がいいなって思ったんだけどさ…
こんなにもあたしの事想ってくれるの、この世で太一だけなんじゃないかなって思って。
そしたらあたしも太一のことが好きだった気持ちを思い出したの。」
「何かいいなぁ。」
阿紗子の話を聞いて、あたしは言った。
言うというよりは、言葉がポロリと転がってきたという方が正しいかもしれない。
「そう?」
「何かいいじゃん。
お互い嫌いな期間とか無かったわけだし、別れても普通に友達になったんでしょ?」
「うん。
あたしは何だろうな…恋愛感情として好きじゃないっていうのはあったけど、嫌いではなかったな。
それに、あたしは別れてからこの前告られる前までの間ずっと友達だと思ってたから、会うのが嫌だとかっていうのもないしね。
でも向こうがあたしをどう思ってたかは知らないよ?」
「そりゃ相手の心理は分からないけどさ、それでも幸せだよ。」
昔付き合ってた相手の事を考えるのが邪魔にならない。
また会った時に戸惑うような感情が無い。
あたしはそういった事を経験した事が無いから分からないだけかもしれないけど、純粋に羨ましいと思った。
阿紗子と里田君には、あたしにとって“理想的な”何かがあるのかもしれない。
「ねぇ妃奈、このタイミングで聞くの微妙かもしれないし、聞いていいかも分からないんだけどさ、」
「?」
「やっぱり、北条先生のこと好き?」